蜂蜜は残業しない

オルフェの蜂蜜工房には、勤務表がない。

蜜蜂が帰巣すると、巣箱の底にある魔法弁が余分な蜜だけを分け、細い硝子管へ流す。管の先では瓶が勝手に並び、満ちれば蓋が閉まり、日付の札まで貼られる。蜂の冬越し分は必ず残るよう設定してある。

「俺より待遇がいいな」

オルフェが言うと、蜂が一匹、抗議するように鼻先を飛んだ。

彼は以前、王都の文書院で働いていた。誤字を一つ見落とせば始末書、百枚仕上げても次の百枚。灰色の制服の肘は机との摩擦で薄くなり、右手の中指には筆だこが硬く残っている。夜中に届く《至急》の紙鳥は、辞職後も夢に出た。

工房では、瓶が一本満ちるたび、こぽん、と間の抜けた音がする。

その音を十二回聞いたところで、会計箱が陽気に鳴った。

《蜂蜜十二瓶、菓子店が定期購入。入金完了》

オルフェは椅子に深く座り直した。文書院なら半月分の給金。だが、嬉しいのは金貨ではない。十二瓶目が満ちるまで、彼は一文字も書いていない。

空いた右手で何をしてもよかった。拳を握らなくても、筆を持たなくても、給金は消えない。オルフェは硬い筆だこを親指で撫で、今日はそれを柔らかくする日だと決めた。指を休ませるだけで何かを失う日々は、もう終わっている。

窓を紙鳥が叩いた。

嫌な予感どおり、元主任の紋章がついている。

『明朝までに王令の清書が必要だ。戻って手伝え』

オルフェは紙鳥の裏へ書いた。

『断る』

鳥はすぐ戻る。

『君の筆跡でなければ間に合わない』

『間に合う人数を雇え』

『予算がない』

『俺の休日を予算にするな』

また鳥が飛び去った。今度はしばらく戻らない。オルフェは念のため窓を閉め、紙鳥除けの網を下ろした。

工房の奥で十三本目の瓶が満ちる。売り物にはせず、夕食のパン用に棚へ置いた。

「本日の業務、終了」

誰にも提出しない声で宣言し、庭の二本の木に吊った寝網へ乗る。蜜蜂は夕日に染まった巣箱へ戻り、オルフェも帽子を顔に載せた。

工房で最後まで働いていたのは、蜂蜜を冷ます風だけだった。