行ってと言った夜
送別会の店を出ると、啓太の新幹線まで十八分しかなかった。
彩葉は駅へ向かう彼の横で、紙袋の持ち手を握り直した。中身は部署のみんなからのマグカップと、彩葉が作った赴任先の店の一覧だった。
「応募したほうがいいって、最初に言ったの彩葉だよな」
「言ったよ。行ってきなって」
「受かった日も」
「行ってって言った」
「今日も?」
啓太は来週から仙台支社へ移る。二年前、異動の公募を見つけたのは彩葉だった。今の部署で評価されずに腐っていた彼へ、締切日の朝まで申請書を書くよう急かした。
受かったと聞いた瞬間は、うれしかった。
その夜、一人で帰った部屋で、冷蔵庫に貼った映画の半券を見て、初めて困った。応援した人間が、今さら寂しいと言う資格はないと思った。
「もちろん。行って」
「了解」
啓太の返事が、業務連絡みたいに乾いていた。
改札前で立ち止まる。発車まで十二分。啓太は紙袋を床へ置いた。
「俺、残ってほしいって言われたら困ると思ってた」
「言わないよ」
「だから困ってる」
「何が?」
「彩葉は、俺が行くことしか応援しないから」
通勤客が二人の間をよけて流れていく。逃げるなら、どちらも簡単だった。改札を通るか、背を向けるか。それなのに啓太は動かなかった。
「私が勧めた異動だよ。ここで引き止めたら、全部うそになる」
「引き止めてほしいんじゃない」
「じゃあ何」
「離れても、続けたいものがあるか聞いてる」
彩葉は紙袋から店の一覧を取り出した。牛タン、喫茶店、古本屋。調べるうちに、自分が行きたい店ばかり増えていた。それでも全部、彼一人へのおすすめとして整えた。
「行って」
三度目に言うと、啓太の眉がわずかに下がった。
「でも、私を置いていくって意味にはしないで」
一覧の一番下には、まだ店名を書いていない空欄があった。彩葉はペンを借り、〈来月、二人で決める〉と書き足した。
それからスマートフォンで来月最初の土曜日の新幹線を検索し、一番早い便を予約する。
「本当に来る?」
「行ってって言った責任、最後まで取る」
啓太が改札へ入る。彩葉は手を振らなかった。
代わりに、予約完了の画面をその場で送った。既読がついたのを確かめてからも、彼とのトーク画面を閉じなかった。