親指のくもり
御影叶実は、右手の親指だけを見つめていた。
淡い青のネイル。十本とも同じ薄さになるように、机のライトの下で三度ずつ塗った。ところが最後のトップコートを乾かす前に、親指が毛布へ触れた。表面に細い筋が入り、光を当てるとそこだけ曇って見える。
除光液はすぐ手の届く場所にあった。
叶実は、一本でも失敗すると十本すべて落とす。色の厚みが変わるから、親指だけ塗り直すことはしない。日曜の夜に始めたネイルが月曜の午前二時まで終わらないこともあった。翌朝、眠そうな顔をファンデーションで隠しながら、それでも指先だけは整っていることに安心した。
今夜は、妹とビデオ通話をする約束だった。開始まであと七分。画面の向こうで手元が映るかもしれない。曇った親指を見て、雑だと思われるかもしれない。妹がそんなことを言ったことは一度もないのに、叶実の中では、誰かの目はいつも拡大鏡だった。
彼女はコットンに除光液を含ませた。
青が落ちる直前、スマートフォンが震えた。「少し早いけど、今いい?」と妹から届く。
叶実は親指をコットンへ押しつけず、机へ置いた。しばらくすると、除光液の冷たい匂いだけが部屋に広がった。
通話ボタンを押す。画面には、洗濯物の山を背にした妹が映った。叶実も、机の上の瓶や綿棒を片づけなかった。
話の途中、妹が新しく買ったマグカップを見せた。叶実は親指を何度も見たが、妹の話を止めはしなかった。叶実は両手でスマートフォンを持ち直した。曇った親指が画面の端に映る。隠そうとして指をずらしかけ、やめた。
通話が終わるころには、ネイルはすっかり乾いていた。筋は消えていない。叶実はライトの角度を変えて何度か眺めたが、落とさなかった。
除光液の蓋を閉める。コットンは白いまま、ごみ箱へ入れた。
ベッドに入ると、親指の表面がシーツに触れた。もう跡は増えない。それでも叶実は、明日の朝に塗り直す予定を立てなかった。青い十本のうち一本だけ、曇ったまま眠りについた。