読書感想文の最初の一行

読書感想文の最初の一行が書けなくて、私は学校へ逃げた。

図書室は蔵書点検で閉まっていたが、自習用に二年四組だけが開いている。冷房の風が届くいちばん後ろの席に座り、指定図書を開く。三回読んだはずなのに、浮かぶのは「おもしろかったです」だけだった。

同じ教室にいたのは、紙屋直だった。普段は窓際で本を読んでいる人で、クラスの誰とも長く話さない。彼はノートへ何かを書き続け、私がため息をつくたびに一度だけ顔を上げた。

「感想文?」

「最初の一行が無理」

「最後から書けば」

「最後も無理」

紙屋は少し考え、自分の鞄から同じ指定図書を出した。角が丸まり、付箋が何枚も貼ってある。

「これ、貸す。書き込みは見なかったことにして」

ページの余白には、小さな字が並んでいた。『ここはずるい』『この人、謝ればいいのに』『分からないけど嫌いじゃない』。模範解答とはほど遠く、誰にも見せない顔をのぞいているようだった。

物語の終盤、主人公が友人へ手紙を書く場面に、一本だけ長い線が引かれている。横にはこうあった。

『言わなかったことは、なかったことになるのか』

私はその一文を何度も読んだ。

去年、親友と喧嘩して、それきり別のクラスになった。謝ろうと思った日はいくつもあった。でも、時間が過ぎるほど、何を謝るのかさえ曖昧になった。感想文に書くつもりなどなかった記憶が、急に机の上へ戻ってきた。

ノートの一行目に書く。

『この本を読んで、言わなかった言葉にも重さがあると思った。』

紙屋が横から見て、「書けたじゃん」と言った。

「これ、感想になってる?」

「少なくとも、あらすじじゃない」

私は笑い、続きを書いた。原稿用紙二枚目まで進んだところで、スマートフォンを出す。別のクラスになった親友の名前を探し、「久しぶり。夏休み、会える?」と送った。

既読がつくまでの時間、紙屋の本を閉じずに待った。

返事は『会える』の三文字だった。

その下に、私は感想文の続きを書いた。最初の一行より、ずっと速く書けた。