赤い実を守る柵
婚約を断った罰として、セレネは家名と王都の屋敷を失った。
代わりに渡されたのは、辺境にある元別荘の農地だった。庭師が去って久しく、畑は野生へ戻りかけている。ただ一列だけ、倒れた支柱に絡みつく赤い実が残っていた。
トマトだ。
初日の昼、角兎が三匹、熟れた実を狙って草むらから顔を出した。
セレネは追い払わなかった。どうせ夜には戻る。彼女は納屋から細い柳枝を集め、赤い実の一列を囲み始めた。
社交界で身につけたのは笑顔だけではない。ほどけないリボンの結び方も、間隔を揃えて飾りを編む技術もある。柳を交互に通すと、低いが隙間のない柵になった。
角兎が鼻先で押す。柵はしなったが倒れない。
「あなたたちの食事は、向こうのクローバーでどうぞ」
最後の柳枝を結ぶ紐が足りず、セレネは荷箱から舞踏会用の絹帯を取り出した。家名の色に染められた高価な帯だったが、腰へ巻いて機嫌を取る相手はもういない。細く裂いて柵へ結ぶと、赤い布片が風に揺れ、角兎は警戒して一歩下がった。見栄のための飾りが、初めて役に立った。セレネは柵を一周し、手で押し、低い場所を土で塞いだ。
日が傾いた頃、実家の家令が馬車で現れた。
「旦那様がお許しになるそうです。侯爵家との縁談を受けるなら、明朝にも王都へ」
家令は返事を待たず、畑へ踏み込もうとした。
セレネは手を上げた。
「柵の戸を閉めてください」
「今、何と?」
「ここでは、私の畑の決まりが先です」
家令はしぶしぶ柳の戸を閉じた。かちりと木栓が収まる。その小さな音は、婚約式の鐘より気持ちよく響いた。
セレネは一番赤いトマトを摘み、薄く切った。塩を振り、白いチーズと皿へ並べる。刃を入れた実から青い香りが弾け、果汁が指を伝った。
「返事は?」
「夕食のあとでも遅くありません」
家令を立たせたまま、セレネは最初の一切れを口へ運んだ。
甘さのあとに、夏の酸味が来る。
誰と結婚するかより先に、何を守って食べるかを自分で決められる。それだけで、この捨て地はもう別荘ではなく、彼女の領地だった。