赤い輪のない首輪
手術前の犬を迎えに行った皆川花梨は、首輪に赤い輪が付いていないことに気づいた。
赤は絶食確認済み、青は投薬確認済み。午前の動物病院では、同じ犬種の二頭が隣り合うケージに入り、後輩が受付票と首輪を付けていた。これから麻酔をかける犬の首輪には青だけがあり、赤は隣の健康診断の犬に付いている。
飼い主へ電話すると、手術予定の犬は今朝、家族が誤って朝食を与えていた。受付では伝えたが、後輩が「少量」とだけメモし、絶食未確認の欄へ反映していなかった。
院長は手術室の時計を見た。
「少しなら予定どおりでいい。麻酔時間も短い」
花梨は犬の口元についた小さな餌の粉を見た。麻酔中に吐けば、内容物が気道へ入るおそれがある。予定を守るために、犬へ危険を引き受けさせる理由にはならない。
「今日は延期します」
花梨は飼い主へ事情を説明し、検査だけに変更した。空いた手術枠には緊急処置の患者を入れ、スタッフの配置を組み直す。後輩には、赤い輪を付け忘れたことだけを反省させなかった。
「色は確認した結果につけるもの。輪を付けることが仕事になると、聞いた内容が消える」
受付票へ〈最後に食べた時刻〉を必須入力にし、手術室へ移す前に、飼い主の申告、受付票、首輪を二人で読み合わせる手順へ変えた。同じ犬種が並ぶときは、ケージにも写真を付けた。
後輩は泣きそうな顔で、「私、手術に向いていないかもしれません」と言った。
花梨は首を振った。
「止められた失敗は、次に止めるために使える。向いているかは、隠さず残せるかで決めよう」
夕方、延期を了承した飼い主から、次回も同じ担当でお願いしたいと連絡が来た。手術が延びたことへの不満ではなく、「食べたと話したことを覚えていてくれた」と書かれていた。院長は花梨へ、忙しい手術日は受付から外れてほしいと言った。確認に時間を使う人を流れから外せば、流れだけが速くなる。花梨はその提案を受けなかった。
花梨は代わりに、手術前確認の担当表を差し出した。
そして翌週最初の欄へ、自分と後輩の名を並べて記入した。