赤結びの計縄
高地の風は、吊橋を獣の背骨のように揺らしていた。
チャスカ・ユパンは橋口の石へ、交換条件を記した計縄を広げた。黄の結びは人質二人、黒は武器を持たぬ護衛四人、赤は橋を支える九本の吊り綱を表す。
こちらが取り戻すのは王弟アリマ。向こうへ返すのは、敵の橋大工オルコだった。二人は谷の反対側に立ち、互いの護衛に腕を取られている。
敵将が計縄を指した。
「結びは昨日と同じだな」
「数は同じだ」
チャスカは答えた。
赤い結びが一つだけ、位置を変えていた。
昨日まで九つ目は端にあった。今は中央へ寄り、黒い護衛の結びの真下にある。縄は夜のうちに敵側から返された。結び直せたのは、捕らわれているアリマだけだ。
幼いころ、二人は計縄で遊んだ。赤を黒の下へ置けば、「重い者がここへ来る」。九つ目なら、九番吊り綱の真下だ。
敵は交換が終わった瞬間、武器を隠した兵を橋へ走らせるつもりだ。護衛四人という約束を守る顔をして、その背後へ鎧兵を重ねる。アリマはそれを見た。
チャスカは計縄を元の形へ直さなかった。
「始めろ」
人質二人が橋へ足を掛ける。板が鳴り、谷底の川が白く光る。アリマは痩せ、裸足だった。オルコは歩幅を崩さず、橋の揺れを読んでいる。大工は自分の作った橋がどこで切れるか知っている。
中央ですれ違う時、オルコが低く言った。
「九番を切れば、王弟も落ちるぞ」
チャスカは聞こえぬふりをした。
アリマがこちら側へ十歩。オルコが敵側へ十歩。双方の護衛が縄を解く。交換は成立した。
敵陣で笛が三度鳴った。
石陰から鎧兵が湧いた。四人ではない。二十、三十。橋板へ一斉に踏み込む。敵将は人質を返した名誉を残し、次の瞬間に橋口を奪う気だった。
アリマはまだ橋を降りきっていない。九番吊り綱の横を通るところだった。
チャスカは斧を持った兵を見た。兵は刃を綱へ当てたまま、命令を待つ。
「今切れば、姫様の足場も持ちません」
「姫はそれを知って結びを移した」
アリマが振り向いた。恐れた顔ではなかった。右手で橋の側綱を掴み、身体をこちらへ投げる。
チャスカは一歩踏み出し、その手首を掴んだ。
「九番を断て」
斧が落ちた。
中央の吊り綱が弾け、橋床が敵側へ大きく傾く。鎧兵たちが重なって谷へ滑る。オルコは最後の板から敵岸へ跳び、土を掴んだ。
チャスカはアリマを石畳へ引き上げた。谷底から板と鉄の音が遅れて届く。
敵将は向こう岸で剣を抜いたが、橋はもう一本の細縄になっていた。
アリマが計縄をチャスカへ返す。
「赤い橋旗を上げろ」
命令とともに、山頂の旗が朝日に開いた。