透明な家出

両親の喧嘩を止めるため、子どもは自分がいなくなればいいと思った。

自分の進学費用と、父の転職と、母の仕事。

話題は違っても、最後には必ず、

「この子のため」

という言葉になる。

玩具店で買った透明薬を一滴飲むと、家の中にいる間だけ姿が消えた。

子どもは鞄を玄関へ置き、消えたまま押し入れへ隠れた。

自分が家出したと思えば、両親は喧嘩をやめるはずだった。

母が帰宅し、空の部屋を見た。

父へ電話する。

二人は走って家へ戻った。

最初は互いを責めた。

「あなたが追い詰めた」

「そっちこそ」

子どもは耳を塞いだ。

やがて父が言った。

「この子のためって、便利な言葉だな」

母が黙る。

「転職したいのは私だ。失敗するのが怖いのも私だ」

父の声は小さかった。

母も、

「仕事を増やしたいのは私。学費だけのためじゃない」

と言った。

二人は、子どもを理由に自分の希望を隠し、相手へ責任を押しつけていた。

母が鞄を抱えた。

「この子は進学したいって言った?」

「聞いてない」

「私も」

子どもは押し入れの中で腹が立った。

自分のために喧嘩しているくせに、自分へ一度も聞いていない。

薬の効き目は、家から出れば切れる。

子どもは玄関へ走り、扉を開けた。

姿が戻る。

両親が叫んだ。

母は抱きしめようとしたが、子どもは一歩下がった。

「私、ここにいた」

二人の顔が凍る。

「全部聞いた」

父が謝り、母も泣いた。

子どもは許す前に言った。

「進学したいか、今聞いて」

三人で食卓へ座った。

子どもは遠い町の学校へ行きたいが、決めきれていないと話した。

父は転職したい。

母は仕事を増やしたい。

全員の希望を紙へ書くと、どれも少しずつ家計と時間を奪う。

魔法のように全部かなう答えはなかった。

結局、子どもは奨学金を調べ、父は転職を半年待ち、母は週二日から仕事を始めた。

何度も予定を変えた。

透明薬の瓶は空になった。

子どもは時々、また消えたくなる。

そんな日は鞄を隠さず、食卓へ置く。

「今日は私の話を先にして」

両親は喧嘩を完全にはやめない。

ただ「この子のため」と言いそうになれば、一度本人を見る。

見える場所にいる人を、理由だけにして消さないために。