針のない蓄音機

死んだ歌手は、針のない蓄音機から私にだけ返事をした。

骨董店の奥にそれはあった。黒い朝顔型のラッパ、ひび割れた木箱、回しても手応えのないゼンマイ。盤を載せていないのに、閉店後になると女の歌声が流れた。

最初に声をかけた夜、歌は途中で止まった。

『そこに誰かいるの?』

歌手は百年前、巡業列車の転覆事故で死んだ。郷土資料館の年譜、当時の新聞、墓地の台帳まで調べた。生年月日も曲名も声の癖も一致し、別人や巧妙な録音とは考えられなかった。新聞には二十七歳とある。残された録音は一枚だけで、事故前夜の歌だという。

「あなたの歌を知っている」

『まだ一度しか舞台で歌っていないのに?』

妙な返事だった。彼女はラジオという言葉を知らず、店の外を走る救急車の音を「警笛」と呼んだ。こちらの年月日を告げると笑い、「夢の国みたい」と言った。

代わりに彼女の側のことを訊いた。劇場の壁は新しく、街には電灯が三本しかない。明日の朝、地方巡業へ向かう汽車に乗る。切符は赤、座席は最後尾。歴史に残る事故とすべて一致していた。

私は死者が最期の夜を繰り返しているのだと思った。

毎晩、彼女は歌い、私は店番をしながら聴いた。ところが蓄音機の下に置いた現代の硬貨が、翌朝には見たことのない古銭へ変わっていた。彼女の歌の間には、まだ録音されていないはずの私の咳払いまで混じった。私は質問を紙へ書いてラッパに差し込んだ。翌朝、その裏には古いインクで返事が増えていた。

事故の日が近づいた。

「明日の汽車に乗るな」

『またその話? 支配人に叱られるわ』

「最後尾が崖から落ちる。あなたはそこで死ぬ」

長い沈黙のあと、ラッパの奥で駅のベルが鳴った。

『あなたは、私が死んだあとの人なのね』

「そうだ」

『なら、信じる。歌は別の日にも歌えるもの』

翌朝、店の壁に掛けた歌手の写真から黒い喪章が消えていた。新聞の複製にある死亡年も、空白へ変わっている。蓄音機からは、初めて知らない老女の声で歌が流れた。

私は死者と話していたのではなかった。百年後に死者と呼ばれる女が、まだ汽車に乗る前の夜と話していた。