銀匙の呪い粥
ノエマがグレモア伯爵家を追い出された翌朝、食堂で最初に倒れたのは、彼女を役立たずと呼んだ当主だった。
銀の匙を落とし、喉を押さえる。続いて長男の頬に黒い紋が浮かび、次女の指先が石のように固まった。
「毒見役を呼べ!」
毒ではない。昨夜、敵対家から届いた祝い酒に、遅れて発動する家系呪詛が仕込まれていたのだ。
これまで伯爵家の者が何度呪われても無事だったのは、厨房でノエマが毎朝作っていた灰豆の粥のおかげだった。灰豆は呪いを解かない。呪詛が血に根を張る前に、余分な魔力を胃へ集めて排出させる。味が薄いと嫌われ、銀匙に残った一口まで捨てられていた粥だった。
新しく雇われた宮廷料理人は、そのレシピを知らない。そもそも、灰豆を家畜用の餌だと思って倉庫から処分していた。
家令が町中の豆を買い集めても、煮方が分からない。柔らかくなるまで煮れば効力は消え、固ければ胃を傷つける。ノエマは家族の年齢と魔力量に合わせ、同じ鍋から取り分ける時刻まで変えていた。誰も見ていなかった仕事だけが、食堂に欠けていた。
同じころノエマは、城下の施療院で大鍋を見ていた。呪われた貧民の子どもたちが、灰色の粥を恐る恐る口へ運ぶ。黒かった爪が、一本ずつ元の色へ戻っていった。
院長修道女は、空の椀を重ねながら言った。
「薬を買えない者にも出せる。しかも、あなたは症状ごとに豆の煮時間を変えている。これは残飯ではなく治療食です」
ノエマには施療院の厨房だけでなく、薬師会の講義席まで用意された。家では一度も呼ばれなかった〈先生〉という言葉で、若い修道士たちが彼女を呼ぶ。
昼前、伯爵家の馬車が施療院の門を塞いだ。家令が青ざめた顔で降りてくる。
「当主様がお許しくださる。灰豆を持って戻れ。今日の件を収めれば、下働きとして再雇用する」
ノエマは、子どもの椀へ最後の一杯を注いだ。
「許される覚えはありません」
「家名を捨てる気か」
彼女は施療院の印が入った白衣の紐を結び直した。
「グレモア家との奉公契約は、私を裏門から出した時点で終了しています」