銀魚湖の数えない朝
海月アサヒは、魚の数を数えるのが嫌いになっていた。
王都魚市場で荷受け係をしていた頃は、夜明け前に千尾、昼までに二千尾。水に濡れた制服は乾く暇がなく、長靴の底は薄くなり、通信貝には「船到着、至急」「欠員、至急」が鳴り続けた。
だから銀魚湖を相続したときも、最初は漁をするつもりがなかった。
ところが湖には古い祝福が残っていた。毎朝、日の出と同時に銀魚が百尾だけ岸辺の籠へ跳び込む。百一尾目は決して入らず、湖の魚も減らない。水の精が籠に氷を敷き、定期便の鳥舟が料理屋へ運ぶ。代金から湖の保全費が引かれ、残りが朝食前に振り込まれた。
〈本日の銀魚百尾、定期納品済み〉
アサヒはその通知を見て、初めて魚を数えなかった。仕組みが百尾と保証している。売上は贅沢には足りないが、一人で湖畔に暮らし、時々甘い菓子を買える。
湖守の精によれば、籠へ入った銀魚は料理屋で食べられても、翌朝には湖の祝福から新しく生まれるという。増やせば祝福が薄れ、減らせば水が濁る。百尾だけが湖にも街にも無理のない数だった。市場では「もっと積め」が正義だったのに、この湖は足りるところで止まる。アサヒは初めて、限度があることを安心として受け取った。
通信貝が荒々しく震えた。
『アサヒ! 祭り前で荷が倍だ。すぐ市場へ来い!』
元荷受け頭の声だった。
「今日は舟に乗ります」
『遊びは後だ。人手が足りない』
「私がいた頃も、ずっと足りないと言っていました」
『お前が戻れば回るんだ。日当も出す』
アサヒは、湖に浮かべた一人乗りの小舟を見た。以前なら日当の額を計算しただろう。今は、朝の入金だけで今日を誰にも渡さずに済む。
「回るように雇ってください。私は戻りません」
『恩を忘れたか』
「眠る時間まで貸した分で、返し終えました」
通信貝を布で包むと、ようやく静かになった。
アサヒは釣り道具を持たずに舟へ乗る。魚を捕るためではない。湖の真ん中で、何もしないためだ。
櫂を置き、朝日に目を細める。銀魚はもう出荷された。今日、数えなければならないものは一つもなかった。