鐘楼が写した請願

北門の鐘楼で、セルギウス・ハルバ公爵は、農民百十二名の請願書を二つに裂いた。

「堤防工事を止めてくれ? 私の別荘から湖が見えなくなるだろう」

請願を運んだ若い飛脚フィオン・ネスタは、濁流に沈みかけた村の名を読み上げた。だが公爵は紙片を火鉢へ投げる。

「王へ届ける請願を妨げれば重罪です」

「王に届かなければ、請願など存在しない」

セルギウスは門兵たちに笑いかけ、受領簿を引き寄せた。〈内容に虚偽あり、領主権限により破棄〉と書き、堂々と署名する。

「これで正式に処理した。飛脚、おまえは虚偽請願の共犯だ。地下牢へ入れておけ」

フィオンは抵抗せず、鐘楼の縄を一度だけ引いた。

低い鐘音が町へ広がる。公爵は眉をひそめた。

「誰が鳴らせと言った」

「請願到着の合図です。王家の鐘楼では、受領時に一度鳴らす決まりです」

鐘の内側が白く光った。百年前、領主による握り潰しを防ぐため、王家は請願鐘に写影魔法を施した。鐘が鳴った瞬間、台上にある文書、受領者の顔、周囲の声が、そのまま王都の請願院へ送られる。

火鉢の炎が揺れ、空中に同じ場面が逆向きに映った。請願書を裂く手。〈届かなければ存在しない〉という声。虚偽と書き込む筆先。そして、公爵自身の署名。

セルギウスは慌てて鐘へ杖を振り上げたが、門兵長がその腕を止めた。門兵長の弟も、堤防下の村に住んでいた。

間もなく、鐘楼の階段を王立請願院の使者が上ってきた。腰には、写影を受信したときだけ抜かれる白銀の鎖がある。

「これは領民の反乱だ。私は秩序を守っただけだ!」

「堤防工事の中止命令も、別荘の眺望を理由に出されています」

使者は別の写しを掲げた。公爵が昨日署名した工事停止書である。理由欄には、確かに〈湖面景観の保全〉とあった。

フィオンは焼け残った請願書の端を拾い、使者へ渡した。百十二名の名は、半分焦げても読めた。

使者は王印の封を切った。

「セルギウス・ハルバ。王への請願妨害、災害対策阻害および不法監禁命令の容疑により、貴殿を逮捕する」