閉館後の主役

西園寺原奏里は、小劇場の衣装部屋で婚約を破棄された。

一之瀬森漣雅は、主演用のコートを羽織ったまま言った。

「玲紗となら、もっと大きな舞台へ行ける。君は裏で裾を直して満足する人だろ?」

人気女優の久遠院玲紗は、鏡越しに奏里を見た。

「衣装係としては優秀よ。次の公演でも使ってあげられるかもしれない」

奏里は婚約指輪を外し、針山の横へ置いた。

「次の公演は難しいと思う」

二人は、それを負け惜しみだと笑った。

翌週、その劇場で新作の制作発表が開かれた。漣雅と玲紗は、世界的な演出家が手がける大型公演の主演候補として呼ばれていた。

壇上へ現れた演出家は、最初に奏里を紹介した。

「原作・脚本・製作総指揮、西園寺原奏里先生です」

奏里は衣装係ではなかった。匿名で発表した戯曲が海外三十都市で上演され、映像化権と上演料だけで年に数億円を得る劇作家だった。この小劇場も、祖父から受け継いだ文化財団が所有している。衣装部屋にいたのは、俳優の動きを見ながら自分で衣装を直す習慣があったからだ。

漣雅が立ち上がる。

「僕は先生の婚約者として、作品を一番理解しています」

制作会社の法務担当が、机へ資料を置いた。

漣雅は奏里の未発表台本を玲紗へ渡し、別の制作会社へ売り込んでいた。玲紗も、自分が企画した作品だと取材で語っている。送信履歴と録音は残っており、二人は候補から外された。

玲紗は声を震わせた。

「でも、主演は私を想定して書いたのでしょう?」

奏里は首を振った。

「人を踏み台にして上へ行く役は出てくる。でも最後に舞台から降りる役よ」

新しい主演俳優が紹介され、海外公演の契約額が発表された。劇場改修費も奏里の財団が負担し、若手俳優には正規の報酬が支払われる。

漣雅が指輪へ手を伸ばした。

「奏里、やり直せば僕が君の作品を支えられる」

奏里は指輪を箱へ入れた。

「裾を踏んだ人には、支えられない」

劇場正面の電飾に、奏里の名と世界公演決定の文字が灯る。

閉館後の暗い衣装部屋で捨てられたはずの女性が、満員の劇場で主役として紹介された瞬間、漣雅と玲紗の名前だけが配役表から消えた。