雨が止んだら

榛名伊織が事故で死んで一年。命日の夜、汐見花澄の端末に、彼のアカウントから新曲の通知が届いた。

題名の下に、予約投稿、と小さく表示されている。

ジャケットには、傘を持たない二人の影が描かれていた。片方だけが雨の外へ歩き出している。

イントロは雨音だった。屋根を叩く硬い粒、排水溝を走る水、遠くの踏切。伊織は街の音を切り貼りして曲を作る人だった。別れる直前も、花澄が泣いているのに録音機を向け、「いい音だから」と言った。

「雨が止んだら」

加工された彼の声が、薄いシンセの上を滑る。

二人の最後の会話も雨の日だった。伊織は何も説明せず、「少し離れよう」とだけ言った。花澄は怒りに任せて、二度と来ないで、と返した。その一週間後、彼はバイクで防護柵に衝突した。未送信のメッセージには、同じ五文字だけが残っていた。

雨が止んだら。

Aメロには、二人で歩いた夜の音が混じる。濡れた靴。ビニール傘の軋み。信号機の電子音。花澄は、彼が別れまで素材にしたのだと思い、停止ボタンへ指を伸ばした。

その時、サビが始まった。

四つ打ちの下で鳴っていた雨が、急に人の呼吸へ変わる。しゃくり上げ、鼻をすする音、言葉にならない震え。花澄は自分の泣き声だと気づいた。別れを告げられた夜ではない。伊織が初めて余命を打ち明けようとして、結局言えなかった病院の廊下。彼女が「怖い」と泣き、彼が無言で録音を止めた、あの夜だ。

花澄はそこで、伊織が自分から離れた理由を悟った。事故の前から彼の心臓は悪く、医師には長くないと言われていた。別れは嫌いになったからではなく、死後まで彼女を縛らないためだった。

曲の説明欄が一行だけ開く。

〈雨と呼べば、君はいつか止められると思った〉

最後のサビで、伊織の生の声が入った。

「泣き終えたら、僕を忘れて」

花澄は窓を見た。外では一滴も降っていない。それでも曲の雨は続いている。彼が止むのを待っていたのは空ではなく、残された自分の涙だった。

最後の一音が消えた時、花澄は初めて再生画面を閉じた。

「雨が止んだら」

今度は約束ではない。泣き終えた自分が、先へ進むために押した停止ボタンの名前になった。