青い便箋の名前

青い便箋は、上履きの下に敷かれていた。

危うく踏むところだった。折り目を開くと、最初の一行に『驚かせてごめん』とある。

差出人の名前は最後までなかった。

けれど、誰かは分かった。

六月の豪雨の日、一本の傘で駅まで歩いたこと。数学のノートの端に猫を描く癖。昼休みに私の牛乳を飲んでしまい、翌日二本返したこと。二人しか知らない出来事が、短い文の中に並んでいた。

『友達のままでいたいなら、この手紙は捨ててください。明日から今まで通りにします』

そのあとに、少し間を空けて書かれていた。

『好きです』

教室へ入ると、彼女はいつも通り窓を開けていた。風でカーテンが膨らみ、髪が頬へかかっている。

目が合う前に、私は席へ座った。

怖かった。彼女を嫌いだからではない。誰かに知られること、からかわれること、今までの何気ない時間まで特別なものとして見られることが。

一時間目のあいだ、青い便箋を教科書へ挟んだ。捨てれば、彼女は今まで通りにしてくれる。そう書いてある。

でも、今まで通りとは何だろう。

雨の日に肩が触れたことを、私は家へ帰ってからも思い出していた。猫の絵が増えるたび、ノートを閉じるのが惜しかった。牛乳を二本抱えて謝る彼女を、かわいいと思った。

それを友達だからだと決めていたのは、私も同じだった。

昼休み、彼女は友人たちと廊下へ出た。私は青い便箋の裏へ書いた。

『捨てません。返事は紙にすると逃げそうなので、今日、一緒に帰ってください』

名前は書かなかった。必要なかった。

手紙を彼女の下駄箱へ入れようとして、手が震えた。朝、彼女もここで同じように震えていたのだと思う。

放課後、昇降口へ行くと、彼女は先に待っていた。青い便箋を胸元で握っている。

「これ、どういう意味?」

「歩きながら話す」

「駅まで?」

「遠回りしてもいい」

彼女は泣きそうに笑った。

私たちは並んで校門を出た。肩の間には、傘一本分より少し広い距離があった。

角を曲がるころ、その距離は半分になった。

返事を言うまで時間がかかった。けれど彼女は急かさなかった。

青い便箋は、その後も捨てなかった。折り目が白くなるまで、何度も読み返した。