青い鯨をしまわない
小槙の机の引き出しには、親指ほどの青い鯨がいた。
水族館のカプセルトイで当てたものだ。丸い腹と、少し困ったような目が気に入っている。
元恋人はそれを見て、「二十六にもなって、こういうの集めるの幼いよ」と言った。部屋の棚に並べていた小さな動物たちは、その週末に箱へ移した。別れたあとも箱は開けられず、鯨だけが通勤鞄の底に残った。
新しい職場で三か月が過ぎた頃、小槙は鯨をデスクの端に置いた。企画書の修正が続く日、青い背中を見ると呼吸が少し遅くなった。
けれど誰かが近づくたび、反射的に引き出しへ隠した。見られる前にしまえれば、笑われたことにはならない。朝に出して、昼までに三度しまい、夕方には自分でも何を守っているのか分からなくなった。
ある月曜、会議へ呼ばれた。隣の席の先輩が立ち上がり、小槙の机越しに資料を取ろうとした。
小槙の手が鯨へ伸びた。
指先が背びれに触れる。あと数センチで引き出しだった。
小槙は手を止め、代わりにノートを取った。
会議中、鯨のことばかり考えた。先輩が見て眉をひそめているかもしれない。誰かに「子どもっぽい」と話しているかもしれない。戻るのが少し怖かった。
会議では新商品の名前が決まらず、小槙は二度発言して一度聞き返された。普段なら、その失敗まで鯨のせいにしたかもしれない。幼い物を置くから軽く見られるのだ、と。だがノートの端に議事を取りながら、机に戻ったらまず引き出しを開ける、という予定だけは書かなかった。
三十分後、机の端に青い鯨はいた。向きがわずかに窓側へ変わっていたが、それだけだった。先輩は電話中で、こちらを見もしなかった。
小槙は鯨を元の向きへ戻した。褒められたわけでも、趣味を堂々と語れるようになったわけでもない。
退勤時、いつもなら鞄へしまう。だがその日は、モニターの横に残した。
明日の朝、誰かに何か言われたら、また隠したくなるかもしれない。それでも消灯したフロアで、青い鯨は机の上にいた。小槙は引き出しを閉め、手ぶらで出口へ向かった。