音声オフの決め台詞
吉良木咲帆は、在宅勤務の日だけゲーム〈星環の庭〉を昼休みに起動する。推しは薬師のリュカ。回復魔法を使うたび、「焦らなくていい、次の手を選ぼう」と言う。その声を聞くと、午後の問い合わせ対応へ戻れた。
木曜の昼、休憩終了ぎりぎりに通信障害が起きた。ゲームを閉じる前に緊急ミーティングへ呼ばれ、咲帆は慌てて参加する。マイクは切った。画面も共有していない。安全だと思った瞬間、机の上のコントローラーに触れた。
「焦らなくていい、次の手を選ぼう」
リュカの声が、パソコンのマイクに拾われた。音声オフの表示は、いつの間にか解除されていた。
十人のアイコンが沈黙する。咲帆は回線より先に自分が切断されたいと思った。
「吉良木さん、ゲーム中?」
誰かの声に、チーム長の袴田佳代が重ねた。
「今の言葉どおりに進めます。原因の切り分けから」
佳代は障害対応を三班に分け、咲帆には顧客影響の確認を任せた。四十分後、サービスは復旧した。会議の最後まで、先ほどの声を話題にする人はいなかった。
夕方、佳代から個別チャットが届く。
〈昼休みに何をするかは自由です。ただ、マイクの自動解除設定は切っておくと安心〉
続けて、リュカの薬瓶を模した小さなスタンプが送られた。公式ストアでしか買えないものだ。
〈袴田さんも?〉
〈リュカを主編成から外したことがありません〉
咲帆は嬉しさより先に、監視されていたような不安を感じた。佳代はすぐに続けた。
〈フレンド申請はしません。仕事の上司が趣味のログまで見るのは、私は落ち着かないので〉
その一文で肩の力が抜けた。同じ推しだから、すべてを共有しなくてもいい。
翌週、社内チャットのプロフィールに「昼休みはゲームの場合あり」と加えた。作品名もアカウント名も書かない。隠し通すための嘘ではなく、自分で引いた境界線だった。
昼休みが終わる。咲帆はリュカの声を最後まで聞いてからゲームを閉じ、マイク設定を確認した。
「次の手を選ぼう」
今度は、自分だけに聞こえる音量で答えた。