額縁の外
柘植正暁は、娘と最後に撮った写真を願いの店へ持ち込んだ。
海辺の食堂で、妻と正暁が並んで笑っている。娘の紬は写っていない。撮影したのが紬だったからだ。
写真を撮った直後、正暁は紬に言った。
――そんな仕事、いつまで遊びのつもりだ。
紬は映像の仕事を目指していた。正暁には不安定な夢にしか見えなかった。その夜、紬は東京へ戻り、以来五年、盆にも正月にも帰らない。
「この日の言葉を、なかったことにしてほしい」
店主は写真を灯りに透かした。
「変えられるのは、額縁の外だけです」
「言葉は写っていない」
「では、願えます」
店主は写真の表ではなく、裏へ黒い印を押した。
正暁が家へ帰ると、何も変わっていなかった。
妻は三年前に亡くなったまま。娘からの連絡もない。写真の二人も同じ笑顔で、紬はやはり額縁の外にいる。
失敗だったのだと思い、写真を戻そうとしたとき、裏面に見覚えのない文字があるのに気づいた。
《次は三人で撮ろう。お父さん、タイマーの使い方覚えて》
紬の字だった。
正暁は慌てて古い携帯を探した。連絡先には紬の番号が残っている。五年間、一度も押せなかった番号だ。
電話は三回鳴ってつながった。
「もしもし」
娘の声を聞いた途端、正暁の口から出たのは、用意していた謝罪ではなかった。
「タイマーの使い方を教えてくれ」
沈黙のあと、紬が笑った。
「今さら?」
「今さらだ」
「説明書、読めば」
「字が小さい」
また沈黙があり、今度は鼻をすする音がした。
正暁は写真を見た。写っている妻が、呆れたように笑っている。あの日も妻は、娘を追いかけろと目で言っていた。正暁は見ないふりをした。その視線だけは、写真の中に残っていた。
「来月、そっちで撮影がある」と紬が言った。「一日だけ寄れるかも」
「一日でいい」
言ってから、正暁は慌てて付け加えた。
「いや、仕事なら無理をするな。遊びじゃないんだから」
電話の向こうで、娘が泣きながら笑った。
翌月、三人で撮ることはできなかった。
正暁と紬は、妻の写真を真ん中に置き、何度も失敗しながらタイマーを合わせた。
出来上がった一枚では、誰も額縁の外にいなかった。