鱧の骨切り

しゃっ、しゃっ、しゃっ。

カウンターの向こうから、一定の音が続いていた。

津守慎弥は、その音に合わせて明日のプレゼン原稿をめくった。四十二ページ。話す時間は十五分。緊張すると言葉が詰まるため、一言一句を書いた結果だった。

去年の発表では、質問に答えようとして息が止まり、上司が横から引き取った。それ以来、慎弥は準備の量で恐怖を押さえてきた。今回の提案が通れば大口の顧客を任される。だから原稿は、直すほど長くなった。

六月限定の「鱧の湯引き」が、白い皿で出てきた。細かく骨切りされた身は湯の中で花のように開き、表面から薄い湯気が上がっている。梅肉の酸っぱい香りと、湯に落とした昆布の匂いが静かに重なった。

慎弥は一切れを口へ運んだ。ふわりと柔らかいのに、噛むとごく細い骨の気配がある。

「骨、なくなるわけじゃないんですね」

店主は包丁を布で拭いた。

「細かくして、食べられるようにします」

しゃっ、という音が止んだ。

慎弥は四十二ページを見下ろした。言葉が詰まる可能性は、原稿を百枚にしても消えない。質問が怖いことも、上司の顔を見れば去年を思い出すことも、明日までには治らない。

彼は資料の複製を作り、片方だけを編集した。一枚目から三枚目まで、話す文章を消す。残したのは「顧客の損失」「原因」「提案」の三語だけだった。四枚目以降の原稿は、そのまま鞄に入れる。捨てる勇気まではなかった。

上司へ短いメールを送った。

〈冒頭三分は原稿を読まず説明します。途中で詰まった場合は、一度水を飲んで続けます。引き取りは待ってください〉

送信すると、胸の奥が早口になった。

会議室を想像すると、喉はもう狭くなった。慎弥は原稿の表紙に、小さく『詰まっても、次の一文へ』と書く。うまく話す目標ではなく、止まったあと再開する目標に変えた。

店主は次の鱧を湯へ落とした。白い身がゆっくり開く。慎弥は梅肉を少しだけ載せ、二切れ目を噛んだ。骨の気配は残っていたが、酸味の奥で、温かな身はきちんと喉を通った。