鶏皮は二度鳴る

百瀬奏介は、母から届いた見合い写真を未読のまま、「折戸」のカウンターへ座った。

 恋人だった彼と別れて一週間になる。

 別れ際、彼は怒らなかった。ただ、「三年付き合っても、君の家族の中では僕は存在しないんだね」と言った。奏介は、時間をくれと答えた。いつまで、と聞かれて、何も言えなかった。

 店主はレモンサワーを一杯置き、鶏皮の塩焼きを網へ載せた。脂が炭へ落ちるたび、ぼっと小さな火が立つ。皮は縮みながらぱちぱち二度鳴り、焦げた脂の匂いに粗塩の乾いた香りが混じった。

 奏介は家族に嫌われるのが怖かった。正確には、理解されるまで説明し続けることが怖かった。仕事も住まいも自分で選んできたのに、その話だけは、いつか自然に言える日が来ると先送りした。

 彼が初めて奏介の部屋へ来た夜、玄関に置いた靴を、家族が急に来たらどうしようと奥へ隠した。彼は笑って手伝ったが、二度目から自分で靴を見えない場所へ置くようになった。その仕草を、奏介は見ないふりをした。

 彼はもう戻らないかもしれない。別れた後で勇気を出しても、失った恋への遅い演出にしか見えないかもしれない。

 店主が焼けた鶏皮を裏返した。

「脂、ずいぶん落ちますね」

「落ちても皮は残る」

 奏介は、母のメッセージを開いた。写真の女性は穏やかに笑っていた。何も知らない人を、家族への目隠しに使うところだった。母は写真の下に「感じのいい方でしょう」と書いていた。奏介は、その女性にも、別れた彼にも、自分の沈黙の後始末をさせようとしていた。

 返信欄へ「見合いはしません」と打つ。そのあとを長く迷い、「会わせたい人がいた。もう別れたけど、その話を明日したい」と続けた。送信は明日の昼休みにする。電話を切られても、話をなかったことにはしない。

 彼へ報告するつもりはなかった。告白は復縁の代金ではない。怖さが消えたわけでもない。画面に並ぶ文字を見るだけで、指先が冷えた。

 焼けた鶏皮を噛むと、最初に硬い音がして、そのあと薄い脂がほどけた。塩気は強かったが、レモンを足さなくても最後まで食べられた。