『推薦者のペンネーム』

オンライン面接の画面で、榛名慶は一冊の技術書を掲げた。

『侵入者のいない夜』。十年前、無名の技術者「M・サツキ」が公開し、今もセキュリティ業界で読まれている本だった。

「著者は私です」

榛名は言った。

「会社との契約で本名を出せませんでしたが、今回だけ実績としてお伝えします。編集者の推薦メールも提出しました」

面接官の御影さつきは、送られてきたメールを静かに読み直した。差出人は出版社の元編集長。本文には、榛名が若くして原稿を書き上げたとある。

「第三章の検証用パスワードを覚えていますか」

「もちろん。night_without_intruderです」

「初版では?」

榛名は一拍置いた。

「同じです」

御影は共有画面に古いリポジトリを開いた。初版の原稿には、侵入者を意味するintruderが、わざとintrudarと誤記されている。読者が転載した偽コードを見分けるため、著者と編集者しか知らない印だった。榛名の答えは、五年前の改訂版から採ったものだ。

「細部は忘れますよ」

榛名は笑った。

「十年前ですから」

御影はコミット履歴を示した。初版から改訂版まで、署名鍵は同じ。鍵の所有者は御影さつき。出版社との秘密保持契約も、先月すでに満了している。

「Mは御影、サツキは私の名です。この本を書いたのは私です」

榛名の画面が一瞬固まった。通信のせいではなかった。

推薦メールにも仕掛けがあった。榛名が提出したPDFの作成時刻は面接前夜。元編集長のメールアドレスに見える文字列は、最後の一文字だけ数字の1に置き換えられている。御影は本物の編集長と今も連絡を取っており、CC付きの照会メールには「推薦していない」と返信が届いていた。

榛名は、著者本人が採用担当にいるとは思わなかった、と呟いた。

御影は録画中の面接画面で、不採用ボタンを押した。

「著者を当てられなかったことではなく、推薦者まで作ったことが理由です」