『既読ゼロの通報』
査定面談で、久世弥生の管理職登用は三件の匿名通報によって凍結されていた。
〈部下を深夜まで叱責した〉
〈退職をほのめかして脅した〉
〈相談すると評価を下げた〉
部長の皆川修司は、被害者を守るため聞き取りはできないと言った。
「三人も同じことを訴えている。君を昇進させるわけにはいかない」
コンプライアンス担当の七曲紘が、通報管理画面を横からのぞいた。
「三件とも、受付後の確認依頼が未読です」
匿名窓口では、通報者だけが見られる受信箱へ追加質問を送る。三人は一度も開いていなかった。それでも翌日、皆川は人事へ〈被害者三名の意思を確認済み〉と報告している。
「電話で聞いた」
「通報者の電話番号は、窓口管理者にも表示されません」
皆川は言葉を失った。
七曲が監査ログを映す。三件は二十二時三分、四分、五分に同じ社内IPから送信されていた。その時間の入館者は皆川一人。さらに、通報に添付されたチャット画像は、管理者権限による一括エクスポートから切り取られている。エクスポートを実行したのも皆川だった。
画像では久世の〈今夜中に終わらせよう〉が叱責のように見えたが、直前の一行が消されていた。版履歴から戻すと、皆川が命じた無届け残業を久世が引き取り、部下を帰宅させた会話だった。
「なぜ私を?」
久世の問いに、皆川は答えなかった。
七曲が別の記録を開いた。先月、久世は残業時間の付替えを匿名窓口へ通報していた。皆川は閲覧権限を持たないはずなのに、通報番号を人事宛てメールへ記している。匿名を破り、報復したのだ。
人事責任者は査定票を引き寄せた。
「久世さんの登用凍結を解除します。最終面接へ進んでください。皆川部長は、調査終了まで部下の評価に関われません」
七曲は三件の文章を比較した。改行位置、全角スペース、久世を〈女史〉と呼ぶ癖まで皆川の査定コメントと一致している。部下三人へ確認すると、全員が久世に帰宅を促された記録を提出した。誰も被害者を名乗らず、むしろ皆川から口裏合わせを求められたメールを保存していた。守られるべき匿名性を、皆川だけが盾ではなく刃物として使っていた。
三件の通報は既読にならないまま、皆川の処分通知だけが開封された。