ありがとうの練習帳

母の言葉が減ってから、私は「ありがとう」を毎日十回書かせた。

感謝は脳への刺激になるし、介護する側とされる側の関係も穏やかになる。母が「家に帰りたい」と書くと、私は赤線を引いた。ここが家なのに混乱を強める文は、練習にならない。

ノートの左ページには私が見本を書き、右ページを母になぞらせた。

〈文乃に感謝しています〉

〈この家で暮らしたいです〉

〈財産の管理を任せます〉

最後の一文は難しかったが、行政書士に本人の意思を示す資料になると聞いて続けた。母が同じ字を書けた日は丸いシールを貼り、失敗したページは破って最初からやり直した。介護は根気だ。母が鉛筆を落としても、自分で拾うまで待った。

兄の惺也は、母へ負担をかけるなと言った。何年も遠方にいた人には、意思を引き出す大変さが分からない。母が兄の名を書こうとすると、私は消しゴムを渡した。会っていない人を思い出すと夜に不安定になるからだ。惺也から届く絵葉書も、母には見せず引き出しへしまった。

家族信託の説明日、母は質問に答えられなかった。私は練習帳を開き、これが日々の本心だと示した。惺也はページを窓へ透かし、紙のへこみを指でなぞった。

右ページの文字の下に、鉛筆で強く書いた私の下書きが残っていた。母はその溝をなぞっていただけだった。

「リハビリよ。見本がなければ書けないもの」

私はそう言ったが、行政書士は手続きを止めた。惺也はノートの後ろから、半分に折られた紙を見つけた。母が一人でトイレへ行った時、短い鉛筆で書いたらしい。

〈ふみのがこわい〉

〈おかねをさわらせない〉

〈そうやにでんわ〉

母は混乱している。怖いのは病気で、金銭管理は詐欺から守るためだ。私は紙を取り上げようとしたが、母は初めて私の手を払い、惺也の袖をつかんだ。

その日のうちに母は一時保護され、練習帳は証拠として持っていかれた。

最後の紙にあった〈この子に読ませないで〉だけは、母が一度も私の字をなぞらずに書いた文章だった。