ほどけない靴ひも
榧ノ瀬ささらのスニーカーは、かかとを三度縫い直してあった。
体育のたび、児玉澄絵は真新しい海外ブランドの靴を見せた。
「その靴、捨てどき分からないの? 貧乏って、物への執着が強くなるんだね」
ささらは靴ひもを結び直すだけだった。ほどけた回数まで、小さな記録帳へ書いていた。
学校のマラソン大会に、世界的なスポーツ用品メーカーが協賛することになった。澄絵は限定モデルを履き、表彰台へ上がる気満々だった。ささらには給水係を勧めた。
大会当日、メーカーの会長と五輪金メダリストが来校した。選手はささらの靴を見るなり、しゃがみ込んだ。
「その一足、榧ノ瀬先生の最終試作ですよね」
靴を作ったのは、ささらの祖父だった。
榧ノ瀬家は、世界中に工場と研究所を持つ靴メーカーの創業家。ささらの母は現社長で、祖父は名職人だった。ささらが履き続けていたのは、祖父が亡くなる直前に作った一足を、修理しながら耐久記録へ残すためだった。
会長が新事業を発表する。
「ささらさんの提案で、当社は販売だけでなく、永久修理サービスを始めます。買い替えを減らし、職人の仕事を増やします」
会場には、ささらが縫った補修方法の特許資料も展示された。契約予定は世界三十か国。考案者へのロイヤルティは、すでに億単位に達している。
澄絵は限定モデルのロゴを見せた。
「でも私のは、一番高い正規品だから」
メーカー社員が靴を確認し、首を振る。
「この配色は発売していません。模造品です」
澄絵の父が海外通販で買ったものだった。大会規定を満たさないため、競技には使えない。
ささらは自分の靴のひもを結んだ。
金メダリストが隣に並ぶ。
「今日は、この靴で一緒に走ってください」
号砲が鳴る直前、会長は永久修理サービス第一号の登録証をささらへ渡した。所有者欄には彼女の名、製作者欄には祖父の名がある。
三度縫われたかかとがスタートラインを越えた瞬間、澄絵が捨てどきと笑った一足は、世界で最も長く走り続ける靴になった。