サビのない曲

ライブハウスの楽屋には、演奏後に使う後悔販売機がある。演奏者は、その夜鳴らさなかった音を譜面に一音だけ書いて入れる。休符は受け付けない。商品は拍手の長さに応じて変わるが、客が帰る前に済ませなければ、後悔は翌日の曲へ混ざる。

舟守はアンコールを終え、耳鳴りの中でギターをケースへ戻した。今夜は新しいバンドでの初公演だった。客席の最後列に、以前のボーカルだった彼女がいた。解散してから一度も連絡を取っていない。二人で作った曲だけ、セットリストから外した。

ドラムは高いEを入れ、スポーツ飲料を受け取った。ベースは低いAを入れ、缶のおしるこを出した。「舟守、早くしろ。掃除入るぞ」

舟守は五線紙に休符を書いた。あの曲を丸ごと演奏しなかったのだから、後悔は音ではなく沈黙だと思った。機械は紙を吐き、〈無音は選択された音ではありません〉と表示した。

客席の扉が閉まる。彼女はもういなかった。

あの曲のサビには、舟守が最後まで決められなかった一音がある。彼女はB♭を歌い、舟守はBを弾いた。どちらも譲らず、録音では二つを重ねた。わずかな濁りが、二人には正解だった。

舟守はB♭を一音だけ書いた。今夜弾かなかった音であり、最後のスタジオで彼女が歌った音でもある。

紙を入れると、機械は長く唸った。拍手はとっくに止んでいるのに、内部の計測表示が一秒ずつ増えた。やがて商品口へ、飲み口のない銀色の缶が落ちた。

「何が出た?」とベースが聞いた。

「開かないやつ」

「よくある」

舟守は缶をギターケースへ入れた。駅まで歩く間、缶の中で硬いものが拍に遅れて鳴った。ホームの灯りに透かすと、薄い金属の内側に、彼女が使っていた白いピックが一枚、サビのB♭の位置で貼りついていた。

自室で缶を机に置き、舟守が新曲のコードを鳴らすと、白いピックは缶の内側を一度だけ叩いた。Bでは鳴らず、B♭で鳴った。翌朝、銀色の表面には五本の細い傷が走り、その四本目と五本目の間だけ、白いピックの先が外へ少し突き出していた。