ドアが閉まるたび
ドアが閉まるたび、凪は実家から少しずつ遠ざかった。
発車のベル。空気の抜ける音。左右から滑る二枚の扉。床下のモーターが回り、窓の外の照明が一本ずつ後ろへ流れる。駅を出るたび、同じ順番が繰り返された。
母の誕生日を祝った帰りだった。夕食を食べ、ケーキを切り、父が撮った写真に三人で収まった。楽しかった。それでも「泊まっていけば」と言われたとき、凪は明日の予定を理由に断った。予定は午後からで、泊まれないわけではなかった。
一人暮らしの部屋へ戻りたかった。戻りたいのに、終電へ乗ると後ろめたさがついてきた。
向かいの座席で、若い男性が音声メッセージを録音していた。
「今、乗った。着いたら連絡する」
それだけ言い、送信ボタンを押す。声は小さく、車輪の音に半分消えた。男性はイヤホンをつけ、すぐ窓へ顔を向けた。誰に送ったのかは分からない。
次の駅でドアが開く。夜風と雨の匂いが入り、閉まる。男性の画面に短い返信が光ったが、内容までは見えなかった。彼は一度だけ頷くように顎を下げた。
凪のスマートフォンにも、母から「着いたら一応知らせて」と届いている。
一応、という言葉が母らしかった。心配しすぎていないふりをするための二文字。凪は返信欄へ「了解」と打ち、まだ送らずに画面を閉じた。
自立とは、誰にも待たれなくなることだと思っていた時期がある。けれど待つ人がいても、帰る場所を自分で選んでいい。今夜、実家に残らなかったことは、家族を嫌いになった証明ではない。
男性は二駅先で降りた。ドアが閉まる直前、ホームを歩きながらまた画面を見た。連絡を返す相手がいる。それだけの光景だった。
終電は凪の駅へ向かう。ドアが閉まり、モーターが回る。実家からは遠ざかったが、自分の部屋へは近づいている。
凪は傘を持っていない。駅から七分、少し濡れるだろう。それでも到着してから母へ連絡すればいい。今は最後の一駅を、誰にも説明せず一人で座っていようと思った。