ログアウトまで九分

午後十一時五十一分。オンラインゲーム《アステリア》の終了まで九分、伏見縁司のヘッドセットに天城瑠璃の声が入った。

「ギルド倉庫、空にした?」

「あと指輪だけ」

二人のアバターは、六年前にゲーム内で結婚した。現実でも付き合い、二年前の初対面で別れた。縁司は駅前のカフェで一時間待ったが、瑠璃は来なかった。翌日、彼女は〈会うのはやめる〉とだけ送ってきた。

今夜、サーバーが閉じる。最後の共同作業は、思い出の品を処分することだった。

「指輪、売るぞ」

「待って。取引履歴を見て」

管理画面には、二年前のあの日、午後三時十二分に瑠璃のアバターから指輪が返却された記録があった。接続元は、待ち合わせたカフェの公衆Wi-Fi。

「来てたのか」

「入口まで。縁司が女の人を抱きしめてるのを見た」

「あれ、姉だよ。離婚して泣いてた」

「妹しかいないって言った」

「再婚した父親の連れ子で、説明が面倒だった」

瑠璃が笑った。乾いた笑いだった。

「私は、ログインして指輪を返した。気づけば追いかけてくると思った」

「履歴なんか見ないよ」

「電話もした」

「スマホ、姉に貸してた」

縁司は二年前のバックアップを開いた。姉の端末へ転送された着信履歴に、瑠璃の番号が七件あった。姉は翌朝まで眠り、伝えるのを忘れていた。

十一時五十七分。誤解は三分で解けた。

「今からでも、会う?」と縁司は訊いた。

瑠璃は少し黙った。

「会えば、あの日の続きにはなる。でも二年間の続きにはならない」

「誰かいるのか」

「いない。だからこそ、戻る理由を誤解だけにしたくない」

画面の空が白み始める。終了演出の朝焼けだった。誰もいない広場には、二人で建てた家の影だけが長く伸びていた。

瑠璃のアバターが指輪を地面へ置いた。縁司の側から拾えば、まだ所有できる。

残り十秒。縁司は拾わなかった。

「じゃあね、縁司」

「うん」

強制終了を待たず、彼はメニューを開いた。〈ログアウト〉を押すと、二人の指輪は誰の持ち物にもならないまま、世界ごと消えた。