一個売りのマドレーヌ
押見すずは、洋菓子店「ひばり」のレジ前で、マドレーヌを一個だけ買えるか尋ねた。
明日の音楽祭へ一緒に行くはずだった友人が、急な仕事で来られなくなった。チケットは二枚。友人からは譲渡先を探そうかと連絡が来たが、すずはまだ返事をしていない。一人で会場へ行くことを考えると、受付でも開演前でも、自分だけ余っているように感じた。去年も映画の予約を一人分に直せず、結局行かなかった。好きなものより、「連れのいない人に見えないこと」を優先する癖が、いつからついたのかは分からない。明日の会場図には、一人客専用の入口などない。それでも自分だけが違う列へ並ぶ気がしていた。
店頭の札には「二個箱・四個箱」としかない。すずが一個を指すと、店主は箱の棚を見上げ、少し考えた。
「袋でよろしければ」
店主は二個箱を無理に使わず、硝子瓶の横から小さな蝋引き袋を取り出した。貝殻型の菓子を一つ入れ、口を赤いシールで留める。ナプキンも一本の紙紐も、一人分だけだった。
「半端ですみません」
すずが言うと、店主は値札を外し、裏の白い面へ「一個 一八〇円」と書き直した。札立てへ戻すと、二個箱の隣に新しい選択肢ができた。
「半端ではなく、一個売りです」
それは慰めではなく、販売方法の訂正だった。
すずは思わず笑った。誰かと行けなくなったからといって、音楽祭そのものが半分になるわけではない。好きな歌手の出演時間も、夕暮れの野外ステージも、一枚のチケットで全部見られる。
会計のあと、店主は袋を大きな手提げへ入れようとしたが、すずが断ると、そのまま渡した。手のひらに収まる重さだった。
店を出て、友人への返信を開く。
〈譲渡先は探さなくて大丈夫。私は一人で行ってくる〉
続けて、余った一枚を公式のリセールへ出した。購入通知はすぐに届いた。どこかの誰かが一人で来るのか、連れを誘うのかは分からない。
翌日の鞄へチケットを一枚入れ、すずはマドレーヌの袋を開けた。縁は少し硬く、中央はふっくらしている。一個で形が完成していることを、噛む前から知っていた。