一枚だけの朝食

戸張沙都は、窓際の席へ運ばれてきたフレンチトーストを、食べる前から冷まし始めた。

皿を三センチ右へ動かし、ナイフを斜めに置く。粉砂糖の白と苺の赤が同じ画面に入る角度を探し、スマートフォンを持ち上げた。店の朝日が柔らかいのは九時二十分まで。沙都はそれを知っている。毎週ここで朝食の写真を撮り、暮らしの記録として投稿していたからだ。

一枚目は、苺が暗い。

二枚目は、コーヒーカップの取っ手が切れた。

三枚目には、隣の席の鞄が映った。

撮るたびに皿を動かし、シロップの筋を整える。二十枚を越えたころ、バターの角が崩れた。沙都は店員を呼んで新しいものに替えてもらう想像をした。もちろん、そんなことは頼めない。ただ、完璧な一枚を失った気持ちだけが残った。

画面には、よく似た朝食が並んでいる。どれも少しずつ足りない。選べないまま、さらに撮ろうとしたとき、カメラ越しの湯気が途切れた。

沙都は急に、先週の味を思い出せないことに気づいた。写真は百枚近く残っているのに、パンの端が香ばしかったか、苺が酸っぱかったか、何も覚えていない。

店内の時計が九時二十一分になった。

光はもう理想の時間を過ぎた。沙都は、それでも一枚だけ新しく撮った。皿を動かさず、ナイフの位置も直さず、溶けたバターをそのまま写す。画面の端には自分の指の影が入った。

撮り直さなかった。

スマートフォンを伏せ、ナイフを入れる。表面の焼けた部分が小さく鳴り、中からまだ少しだけ温かい生地が現れた。シロップが染みたところは柔らかく、端は思ったより香ばしい。

投稿するかどうかは決めなかった。写真の明るさも直さないまま、カメラロールを閉じた。

食べ終えた皿には、粉砂糖も苺も残っていない。沙都は空の皿を撮らなかった。

会計を済ませて外へ出ると、朝日はもう強かった。スマートフォンは鞄の中にあり、今日の朝食は一枚しか残っていない。その一枚より、舌に残るバターの塩気のほうが、少しだけ確かだった。