一膳目の竈神
離婚して息子と二人になってから、父は夕食を電子レンジへ任せた。
父は夜勤。
息子は部活動。
冷蔵庫へ弁当を入れ、メモに加熱時間を書いておけば、生活は回る。
ある夜、レンジの扉を開けると、庫内に煤だらけの小人が座っていた。
赤い鉢巻きを締め、しゃもじを抱えている。
「竈神だ」
と名乗ったが、レンジの中から出られないらしい。
「二人以上が同時に『いただきます』と言った食事の、最初の一口しか食べられん」
父は息子を起こした。
深夜一時。
息子は不機嫌で、
「明日早い」
と言う。
二人で冷凍炒飯を温め、向かい合って座った。
「いただきます」
竈神は米粒一つを食べ、レンジから食卓へ移った。
だが腹は満たされない。
毎日一口ずつ必要だという。
父は夜勤前の夕方、息子は部活から帰る夜。
食事の時刻が合わない。
仕方なく、朝食だけ一緒に取ることにした。
初日は、父が味噌汁を焦がした。
二日目は、息子が寝坊した。
三日目、二人は黙ったままパンを食べた。
「言葉が二つ足りん」
竈神がしゃもじを振る。
二人は面倒そうに、
「いただきます」
と声を合わせた。
食卓を共にしても、すぐ親子らしい会話が生まれるわけではない。
父は仕事の愚痴を言わず、息子も学校の話をしない。
ただ、息子が左手で箸を持つようになったことに父は気づいた。
右手首に薄い包帯がある。
「怪我した?」
「少し」
「病院は」
「行った」
「何で言わない」
息子はパンを皿へ戻した。
「言っても、メモに薬の時間を書くだけでしょう」
父は反論できなかった。
必要な物を用意することを、話を聞くことの代わりにしていた。
その朝、二人は食事を終えても席を立たなかった。
息子は、部活動をやめたいことを話した。
怪我が理由ではない。
先輩との関係に疲れ、それでも逃げたと思われるのが怖い。
父は答えを出さず、次の朝も続きを聞いた。
一週間後、竈神の煤がきれいに落ちた。
最後の米粒を食べると、しゃもじをレンジの上へ置いた。
「もう一人で食べてもよい。ただし、一人で決めるな」
竈神は換気扇の隙間へ消えた。
息子は部活を休み、顧問と話してから退部を決めた。
父は夜勤を変えられない。
朝食も毎日はそろわない。
それでも冷蔵庫のメモは、加熱時間だけではなくなった。
「帰ったら話を聞く」
「今日は先に寝る」
「朝七時なら一緒に食べられる」
同じ食卓は、家族を自動で近づけない。
けれど最初の一口を合わせると、互いの一日へ入る小さな扉が開いた。