二つの言葉の教室
戦火を逃れた百人が、辺境町の古い穀物倉に住みついた。
その子どもたちは学校へ入れなかった。「町の税を払っていない」「言葉が違う」と門前で返され、昼は荷運びをして黒パンを得た。ある日、配給札を読めない少女が一日分を渡したのに、半日分しか受け取れなかった。
町政官ユースティは、空の小麦倉を教室に変えると宣言した。
「入学条件は、この町で今夜眠る子であること。親の出生地も、納税年数も問いません」
費用は市場の場所代を売上に応じて改め、その一割を回す。小さな露店は銅貨一枚、大商会は使う区画と売上に応じて多く払う。金額と支出は、町語と避難民の言葉の二つで倉壁へ書いた。子どもの荷運びを授業料代わりにすることは禁止した。
「よそ者を養うのか」とパン屋が怒鳴った。
ユースティは帳簿を開く。
「昨日、その子たちが市場で使った銅貨もここに入っています。もう町の外ではありません」
最初に動いたのは、そのパン屋の妻だった。余った粉袋を縫い合わせ、座布団を作った。大工は壊れた穀物棚を机に直し、避難民の石工は壁の亀裂を無償で埋めた。ただし帳簿には「奉仕一日」と記され、後日、町の修繕仕事を頼む際の正規賃金まで併記された。善意を安い労働へ変えないためだ。
町生まれの親の中には、避難民だけの学校にすればよいと言う者もいた。ユースティは二校に分ければ教師代も薪代も倍になると数字で示し、入学名簿を一つにした。すると町の子が先に穀物倉へ来た。避難民の遊び歌を覚えたいという、制度より素直な理由だった。
開校の日、教師は配給札を黒板へ写した。
教師は町語を正解、避難民語を補助とは呼ばなかった。黒板の左右を毎日入れ替え、どちらも同じ大きさで書いた。
少女リマは二つの言葉で「一日分」を読み、配給所へ持っていった。係員が今度は正しい量のパンを渡す。リマは半分を教室へ持ち帰り、隣の町生まれの少年と分けた。
夕方、穀物倉の扉に新しい標札が掛かった。町語の下に、避難民の文字でも同じ名が刻まれていた。
『ここから先は、どちらの言葉でも学校』