二十分の椅子
昼のカフェは、十二時半を過ぎると急に騒がしくなる。
アルバイトリーダーの羽澄は、休憩札を首から下げていても、レジの列が伸びると席を立った。自分の休憩はあとで取ればいい。新人が困っている。常連を待たせたくない。そうやって二十分の休憩を五分ずつ削り、閉店後に冷えたサンドイッチを食べる日が続いていた。
その日も、休憩室の丸椅子に座った途端、店内から食器の割れる音がした。
羽澄の背中が反射的に浮く。扉の向こうで、新人の声が「すみません」と重なった。今すぐ出れば、片づけ方を指示できる。客への交換も早い。丸椅子の座面は硬く、座っているほうが落ち着かなかった。
テーブルには、朝買ったおにぎりが一つ。包装を開ける前に、店内端末から呼び出し音が鳴った。羽澄は休憩札を外しかけた。
けれど扉の小窓から見ると、別のスタッフがほうきを持ち、新人が新しいカップを用意していた。動きは少し遅いが、止まってはいない。
羽澄がいなくても、店はぎこちなく回っていた。
その事実に安心するより、寂しさが先に来た。自分が休んでも困らないなら、無理をしてきた意味は何だったのだろう。役に立つことと、休まないことを同じにしたのは、自分だった。
呼び出し音がもう一度鳴る。今度は店長からの内線だった。羽澄は受話器を取った。
「休憩中ごめん。紙ナプキンの予備、どこだっけ」
「倉庫の左、上から二段目です」
「了解」
通話はそれで終わった。戻ってきて、とは言われなかった。
羽澄は受話器を置き、休憩札を首に戻した。おにぎりの包装を開ける。海苔が湿って指に張りついた。いつもなら二口で飲み込むところを、今日は一口ごとに水を飲んだ。
店内からミルクを泡立てる音、注文を繰り返す声、椅子を引く音がする。そのすべてが、自分だけ休んでいる証拠に聞こえた。羽澄はスマートフォンのタイマーを確認した。残り十二分。
何か役に立つことをしようと、スタッフ連絡帳へ手を伸ばす。補充品を書き出せる。明日の配置も考えられる。指が表紙に触れたところで、羽澄は手を戻した。
残り十二分を、仕事で埋めない。
丸椅子の背もたれはなかった。羽澄は壁へ背を預け、空になった包装を小さく畳んだ。店内の列がまだ続いていることを知りながら、タイマーが鳴るまで立たなかった。