二本目のろうそく
小田倉梓と恋人は、毎月の給料日に小さなケーキを買っていた。
同棲を始めて一年。貯金が目標額へ一万円近づくたび、白いろうそくを一本立て、「結婚まであと少し」と笑うのが習慣だった。
今月、梓には海外支社への異動内示が出た。現地の新規事業は、入社したころから一度関わりたかった仕事だった。三年間の公募で、応募したことさえ恋人に言っていない。昨夜、彼から「結婚したら今の仕事、時短にできるよね」と聞かれ、梓は寝たふりをした。
給料日の帰り、梓はいつもの店で直径十センチのバニラケーキを買った。ろうそくを二本ください、と初めて頼んだ。
恋人は夜勤で不在だった。梓は一人で箱を開けた。バニラの香りが淡く広がり、冷えたクリームがナイフに厚くついた。
一本目を中央に立てて火をつける。いつものろうそくだ。炎を消し、梓はその周りからケーキを食べた。柔らかなスポンジが舌でほどけるたび、丸い穴が少しずつ大きくなった。
二本目は、箱の横へ置いたままにした。
恋人と暮らす未来を嫌いになったわけではない。けれど、二人の将来という一つの穴へ、梓の仕事まで差し込まれるのは違う。結婚へ近づく月数だけでなく、自分が選んだ場所へ近づく月数も数えたかった。
半分を食べたところで止め、残りを冷蔵庫へ入れた。切り口をまっすぐ整えようとはしなかった。話し合いの前から、結論だけきれいに見せる必要はない。恋人の分は、崩さず半円のまま残った。黙って全部食べれば、喧嘩を避けたふりができたかもしれない。けれど残した半分は、相手にも選んでもらうための余白だった。
梓は異動承諾のメールを送った。それから二本目のろうそくを、残ったケーキの中央へ立てた。火はつけない。
冷蔵庫の扉に、「話したいことがあります」と付箋を貼る。
一本目は二人で積み立てた時間、二本目は梓が黙って削らない時間だった。どちらかを消して結婚するのではなく、二本とも立つ場所があるかを、帰ってきた人と確かめる。