二段ベッドの上段
古賀凌平、森崎琴美、中条航輔は、卒業旅行の宿代を削るため、古いゲストハウスの六人部屋を予約した。他の客はおらず、二段ベッドが三台、空のまま並んでいた。
琴美は上段から顔を出した。「四月から、名字変わるかも」
凌平が靴下を脱ぐ手を止めた。「結婚?」
「養子に入る。叔母の会社を継ぐため。就職先もそこ」
航輔が下段のカーテンを開けた。「出版社はどうした」
「内定、断った。家族会議で決まった」
「自分で決めた言い方じゃないな」と凌平。
琴美は梯子を降りなかった。「じゃあ凌平は、自分で決めたの?」
凌平は壁に立てかけたリュックを見た。「海外の大学院。奨学金が通った。来週出る」
「卒業式は?」
「欠席」
航輔だけが何も言わなかった。二人が待つと、彼は枕元の紙袋から白い作業着を出した。
「俺、パン屋で働く。正社員じゃない。朝四時から」
凌平が「研究職は」と聞いた。
「全部落ちた。もう応募しない」
琴美の声が上から落ちてきた。「諦めたの?」
「選び直したって言ってくれよ。琴美がさっき使ったみたいに」
凌平は笑ったが、琴美は笑わなかった。
消灯後、三人は別々のベッドに入り、暗闇で話した。学生寮では四年間、床に布団を寄せて眠った。就職先を探す時も「同じ沿線」が条件だった。いつから条件欄を別々に書き換えたのか、誰も覚えていない。今は余った下段が三つもあるのに、誰も近くを選ばなかった。
「十年後、この宿に集合な」と航輔。
「日付は?」と琴美。
「決めないほうが守れる」
凌平が「それは約束じゃない」と言った。
朝、凌平は始発で空港へ向かった。航輔はパン屋の仕事に備えて市場見学へ出て、琴美は一人でチェックアウトした。
受付のスタッフが、上段に残った大学名入りのパーカーを持って追いかけてきた。琴美はそれが誰のものか知っていたが、「私たちのではありません」と答えた。
六人部屋の利用票には、三人の名前が一行ずつ並んでいた。ベッド番号だけが、端から端まで離れていた。