二百八十六人目

創薬ベンチャーの特許担保融資会議で、御園生玲奈は解析担当の若手社員としてデータ説明を任された。がん再発を予測する新しい指標は、患者二百八十六人の血液データから導かれたという。

発明者は研究統括の我妻。玲奈の名はない。会社は、彼女が単に既存の統計処理をしただけだと銀行へ説明していた。

我妻の発明届には、五月九日午後五時五十五分、「重複症例を除外し、二百八十六例で閾値七・四を発見」とある。

玲奈は解析サーバーの履歴を示した。元データは三百一例。重複を見つけたのは彼女で、除外処理が完了したのは午後六時七分だった。それ以前に二百八十六という人数は存在しない。

我妻は、目視で先に数えていたと主張した。

玲奈は患者番号一覧を投影した。重複の一つは、別病院から転院した同一人物が異なる番号で登録されたものだ。氏名は匿名化されており、照合には玲奈が作った暗号化スクリプトが必要だった。目視では分からない。

発明届の電子署名は五時五十五分。しかし署名証明書を検証すると、実際の発行時刻は午後六時十九分で、表示時刻だけ端末設定に合わせて戻されていた。

銀行の知財評価員が、担保価値の欄を赤線で囲んだ。

「発明者の帰属が崩れれば、優先権も争われます」

我妻は玲奈へ、会社が潰れれば患者の治療機会も消えると言った。

玲奈は二百八十六人の番号が並ぶ画面を見た。

「患者を理由に、解析した人間をデータから消さないでください」

銀行役員は融資契約書の署名欄を伏せた。二百八十六という人数を十二分早く知った者は、誰もいなかった。

玲奈の直属上司は、解析スクリプトも会社の資産だから発明者は会社が決められると言った。銀行の評価員が首を振った。資産の所有と、自然人である発明者は別問題だ。玲奈は自分のコードの変更履歴を開き、重複除外の着想を記したコメントと、我妻が初めて閲覧した時刻を示した。

融資決裁は、六時七分のログから先へ進まなくなった。