休憩札を裏返す
波多野希依は、混んでいる店で休憩へ行くことができなかった。
駅ビルのカフェで働く希依は、休憩時刻になっても客が並んでいれば「あとで大丈夫です」と言った。あとではさらに混み、結局、閉店前に冷たいパンを立ったまま食べる。自分だけ座ることが、働いている人を置き去りにするように感じた。
土曜の十四時、注文口には七人並んでいた。希依の休憩は十分前から始まっているはずだった。
店長がレジを打ちながら言う。
「悪い、今日も少しずらせる?」
希依の口はもう「はい」の形を作っていた。エプロンのポケットには、朝買ったおにぎりが入っている。海苔は湿っているだろう。別に今日だけではない。
そのとき、手元のカップに蓋を二枚重ねた。指先が自分の動きについてこない。剥がそうとして、また一枚落とした。
希依は蓋を拾い、ゴミ箱へ入れた。
「今から休憩に入ります」
店長はレジ画面から目を上げたが、「分かった」とだけ言った。列は短くならない。ミルクを温める音も止まらない。
希依はスタッフルームへ入り、扉の外側にある《休憩中》の札を裏返した。いつもなら半分開けておく扉を、今日は最後まで閉める。
椅子に座った途端、店内のベルが鳴った。
希依は休憩終了のタイマーを十五分後に設定し、水をコップへ注いだ。以前は三分で飲み込み、早めに戻ることで断った埋め合わせをした。今日はタイマーが鳴るまで戻らないと決め、画面を伏せた。秒数が見えないだけで、時間の進み方が少し遅くなった。誰かが呼んでいる気がして腰が浮く。けれど、ポケットからおにぎりを出した。海苔はやはり柔らかく、米は少し冷たい。
一口食べる。急いで飲み込まず、二口目まで間を置いた。
外では注文番号が続いている。希依がいなくても、店は不格好に回っていた。完璧には回らなくても、休憩時間は進んでいく。
十五分後に戻るためではなく、今座っているために、希依はもう一度おにぎりを持ち直した。札はまだ《休憩中》の面を向いていた。