借りものの赤ちゃんの匂い

名執采葉が養子の環生を迎えた日、病院は愛着支援を有効にした。赤ん坊を抱くと、胸の奥へ温かさが広がり、鼻には甘い乳の匂いが届く。小さな指が服をつかむたび、守りたいという感情が波のように押し寄せた。

采葉は救われた。血のつながらない子を本当に愛せるか、審査中から怖かったからだ。夜泣きも吐き戻しも苦ではなく、周囲は「すっかりお母さんの顔」と褒めた。

半年後、支援AIの設計資料が流出した。匂いも温もりも、子どもごとのものではなく、購買テストで最も養育意欲を上げた標準刺激だった。全国の親が同じ「赤ちゃんの匂い」を嗅いでいた。

養子縁組の担当者は、刺激が人工でも養育行動が続けば問題ないと説明した。夫も「きっかけが薬でも、愛情は愛情だ」と言った。采葉は納得できなかった。環生が泣く前から抱きたいのか、それとも甘い匂いへの報酬を求めているのか、自分の動機を一瞬ごとに疑った。疑うほど動けなくなり、端末が作った愛より、疑念が奪う世話のほうが大きくなった。

采葉は端末を切った。環生を抱いても、以前の甘い匂いはしない。汗とミルクと薬の混じった、少し酸っぱい匂いだった。胸の波も来ない。采葉は、自分の愛情が病院から借りた反応だったのではないかと怯え、抱く回数まで減らした。

環生は泣くようになった。夫は再接続を勧めたが、采葉は拒んだ。偽物に戻るのも、何も感じない自分を見るのも怖かった。児童相談員は、「愛着は感じることだけでなく、同じことを繰り返すことでもあります」と言った。

采葉は時間を決めて抱き、眠くなくても子守歌を歌い、吐かれても服を替えた。劇的な温かさはなかった。代わりに、環生が左耳を触ると眠いこと、笑う前に鼻の穴が広がることを覚えた。

十年後、環生は学校の課題で「生まれたときから僕を好きだった?」と尋ねた。采葉は迷ってから答えた。

「最初は、好きになる練習を手伝ってもらった。でも続けたのは私だよ」

環生は少し考え、「じゃあ僕も、家族の練習を十年した」と笑った。采葉にはもう、どんな匂いも送られていなかった。