六時のマイクテスト
喜多見啓吾は、母校の放送設備更新を任された音響技師だった。二十八歳。古い放送卓の下から、放送委員会の引き継ぎノートが見つかった。
《午後六時のマイクテストで自分の名を呼ばれても、「はい」と答えてはいけない》
ノートには、校内放送の前身が村の「名呼び」だったとある。日暮れに迷子の名を高台から呼び、返事の方向へ迎えを出した。ただし声だけ帰ってきた場合、その返事を翌朝まで放送室へ閉じ込めたという。
啓吾は十七時五十八分、無人の放送室で回線試験を始めた。
【作業録音】
17:59:41 左右チャンネル正常
18:00:00 始業チャイム再生
18:00:06 不明音声「喜多見啓吾さん」
イヤホンから自分を呼ぶ声がした。現場監督からの無線だと思い、啓吾は一度だけ答えた。
「はい」
全教室のスピーカーが同時に入り、今の返事を校舎中へ繰り返した。遅れて別々の声が重なる。幼い声、老人の声、泣いている声。どれも「はい」と言い、その最後だけが啓吾の声だった。
録音ファイルは一分しかないはずなのに、終了時刻が翌日の十八時になっていた。後半には、啓吾が訪れたことのない家や駅の呼び出し音が順に収録され、そのたび彼の声が「はい」と返している。最後は自宅の玄関チャイムだった。波形のコメント欄には《返事の届け先を探索中》と自動入力され、現在地の緯度が一秒ごとに近づいていた。
啓吾は主電源を切った。しかし放送は止まらず、廊下の非常灯が一室ずつ点いて、誰かの帰る方向を示すように放送室へ近づいた。彼は窓から非常階段へ出て帰宅した。
翌朝、会社のスマートスピーカーが会議中に勝手に起動した。
「喜多見啓吾さん、放送室へ来てください」
同僚には聞こえず、啓吾のスマートフォンだけが文字起こしを続ける。ミュートを押すと画面へ表示された。
《すでに「はい」と返事を受け取っています》
《呼び出し先を現在地へ変更しました》
その夜から、マンションの館内放送は毎日午後六時に、彼の部屋番号を読み上げるようになった。