冷蔵庫の一番明るい段

琴葉の冷蔵庫には、誰も使わない棚があった。いちばん上、扉を開けると灯りがまっすぐ当たる段だ。友人が遊びに来たらケーキを置くつもりで空けていたが、予定は何度も延期になった。仕事の繁忙期、友人の育児、誰かの体調。延期の連絡を受けるたび、琴葉は「また今度」と明るく返し、空の棚だけを拭いた。

自分の食事は下段で十分だった。作り置きのスープ、値引きされた豆腐、半分残した総菜。いいものを買うときは、誰かと食べる理由が必要だと思っていた。

真夏の夜、隣室のガブリエラが小さな箱を抱えて訪ねてきた。メキシコから菓子製造を学びに来た彼女の冷蔵庫が故障し、試作のムースを朝まで預かってほしいという。

琴葉が最上段へ箱を置くと、ガブリエラは空っぽの棚を見回した。

「ここ、いちばん明るい。誰の誕生日を待っていますか?」

「来客用なんです」

「来客は予約しましたか?」

していない、と答えると、彼女はムースの箱に「朝、迎えに来ます」と書いた付箋を貼った。

「では明日、この場所に琴葉さんの食べたいものを一つ。私の箱が出たあと、空けないでください」

翌朝、ガブリエラは箱を引き取り、「空室禁止」と日本語で言って笑った。

仕事帰り、琴葉はスーパーの果物売り場で立ち止まった。今日は誰にも会わない。写真を送る予定もない。だからこそ、何を選ぶかは自分以外の誰にも説明できなかった。白桃が二個入りで並んでいる。薄い紙に包まれた表面は、触れる前から柔らかそうだった。高い。食べ頃を逃すかもしれない。友人が来る日まで待てば、もっと立派なものを買える。

結局、彼女は一個だけの桃を選んだ。レジ袋の中で、丸い重みが歩くたびに揺れる。

帰宅して冷蔵庫を開ける。下段には昨日のスープがある。琴葉は桃をそこへ置きかけ、最上段の明るさを見上げた。

皿に白い布を敷き、桃を中央へ載せる。来客用の棚に、自分の名前を書いた付箋を貼った。

扉を閉める直前、琴葉は考え直し、桃を取り出した。食べ頃は明日だったが、今夜の自分に一切れだけ切ることにした。