処刑人への祝杯
暗殺者ギルドでは、裏切り者に黒い杯を渡す。
シグがそれを受け取った夜、地下酒場には仲間が全員そろっていた。首領マルカは笑顔で言う。
「お前が標的を逃がしたせいで、依頼は失敗した。飲めば苦しまずに済む」
中身は〈静かな夜〉。心臓の鼓動だけを止める無味無臭の毒だ。
シグは飲んだ。杯を卓上へ置き、いつものように壁へ背を預ける。
マルカは指先で机を叩いた。毒が効くまで五拍。
一拍。二拍。三拍。四拍。五拍。
シグは立ったままだった。
「なぜだ」
最初に椅子を引いたのは調合師だった。彼は瓶の栓を見直し、鼠の死体を持ち上げ、配合ミスではないと理解した。次に古参の暗殺者たちが、シグの胸ではなくマルカの顔を見る。首領が絶対だという空気に、初めて細い亀裂が入った。
「標的の子供を巻き込む依頼だった。だから逃がした。それだけだ」
酒場の外で、助けられた子供が衛兵へ証拠の依頼書を渡している。その足音を聞き、古参たちは出口を塞ぐのをやめた。
「聞いているのはそこではない!」
マルカが杯を奪い、底を嗅ぐ。調合師が青ざめて首を振った。毒は間違いなく入っている。試しに一滴垂らされた鼠は、音もなく倒れた。
首領の目が初めて揺れた。
「処刑人を呼べ」
奥から現れた大男が、ギルド宝具〈断脈糸〉を両手に張った。竜の首すら落とす透明な糸。毒が内から止められないなら、外から心臓ごと両断する。
糸が走る。壁と柱が斜めに裂け、白い粉煙が酒場を覆った。
煙が晴れる。
切断された柱が遅れて崩れ、天井の酒瓶が一列ずつ落ちた。その中心で、シグは壁へ背を預けた同じ姿勢で立っていた。胸に当たった糸だけが、ぴんと張って止まっている。
「俺の技能〈潜伏〉を、姿を隠すだけだと思っていたな」
彼は糸をつまんだ。
「傷も毒も死も、俺の中へ入った瞬間に潜伏する。俺が許可しない限り、表には出ない」
「永遠に隠せるはずがない」
「そうだな。だから返す」
シグが指を鳴らす。潜伏していた毒性と斬撃が、触れていた断脈糸へ一斉に現れた。
ギルド最強の処刑武器が砕けた。