処方箋のない王様

 閉店十分前、蟹江徳久は薬局の列を抜かしてカウンターへ来た。

「いつもの眠剤を出してくれ。二週間分」

 薬剤師の土岐野冴が処方箋を求めると、蟹江は議員章のついた襟を指で弾いた。

「顔を見れば分かるだろ。先生には後で電話させる」

「処方箋なしではお渡しできません」

「この地域の補助金を誰が通していると思ってる」

 待合席にいた客たちは視線を落とした。幼い子を抱く父親が順番票を握り直す。冴は声量を変えず、夜間診療所の場所と、かかりつけ医へ連絡する方法を案内した。診療所までの地図も印刷し、机の端へ置いた。

「融通の利かない店だ。次の議会で薬局支援を削ってもいいんだぞ」

「制度とお薬は、別の手続きです」

 蟹江はカウンターの案内板を倒し、店長を呼べと言った。冴が「私が管理薬剤師です」と答えると、今度は本部へ電話するとスマートフォンを向ける。

 その間、待合席の端にいた灰色のコートの女性が、買い物袋から手帳を出した。冴は彼女を、開店時から血圧計を見比べていた客だと思っていた。

「録音したからな。議員を病人扱いし、必要な薬を拒否した。明日の朝には保健所へ持ち込む。営業停止にできる」

 蟹江がそう言うと、女性が立ち上がった。

「録音は、こちらにもあります」

「誰だ、あんた」

「県薬務課の宇賀神静江です。本日は登録販売者の配置確認で、予告なしの立入検査に来ました」

 彼女は冴へ身分証を示してから、倒れた案内板を起こした。

「処方箋医薬品を要求されても販売しなかったこと、本人確認と受診案内を行ったこと。対応に問題はありません」

 蟹江は議員章を上着で隠した。

「これは誤解だ。私は制度の不備を確認していただけで――」

 宇賀神は録音端末の停止ボタンを押さず、もう一冊の記録用紙を開いた。

「公職者による許認可と補助金を用いた威迫については、薬局監査の範囲を越えます」

 その場で県庁の内線へ電話し、所属と状況を告げる。

「監察室へ接続してください。正式な調査案件として報告します」