十二分だけの無音

コールセンターの休憩室から、真壁あかりの弁当が消えた。

問い合わせが殺到する月曜日。あかりは昼休みを二度ずらし、ようやく席を立ったところだった。冷蔵庫には、朝詰めた焼き鮭の弁当がない。

百席分の声が重なるフロアでは、保留音も謝罪も咳払いも途切れない。あかりは音が刺さるようになるとレモンキャンディを舐める。それでも今日は、包み紙を開く暇さえなかった。

出入りしたのは、シフトリーダーの浦部、新人の小森、清掃担当の兵頭。小森は牛乳を取り、兵頭は床を拭いた。浦部は「見ていない」と言いながら、あかりのヘッドセットを自分の席へ運んでいた。

端末を見ると、あかりの内線は浦部へ転送されている。廊下の奥では、普段使わない研修室の灯りが点いていた。さらに机の上に置いていたはずのレモンキャンディが、二個だけなくなっている。

研修室を開けると、弁当は窓際の机にあった。遮音扉が閉じられ、ヘッドセットも電話もない。弁当の横に、レモンキャンディが二つと、十二分に設定されたキッチンタイマー。

「犯人は浦部さんですね」

背後から来た浦部が、素直にうなずいた。

あかりは騒音が続くと頭痛がする。けれど人手不足の日ほど「平気です」と言って、席でパンをかじるだけだった。先週、浦部が対応を誤って回線を混乱させたときも、あかりは一時間残って後処理をした。

浦部はその夜、礼を言おうとして三度あかりの席まで来たらしい。三度とも別の着信が入り、結局「お疲れ」としか言えなかった。

「礼を言う機会を逃してた」

浦部はタイマーを押した。

「だからって弁当をさらうのは、手順書にありません」

「新しい手順にする。十二分だけ、君の回線は俺が取る」

扉が閉まると、世界から声が消えた。空調の低い音と、箸が蓋に触れる音だけになる。

弁当を開けた瞬間、焼き鮭の匂いがした。あかりは肩が下がるのを感じた。壁の向こうでは浦部が、いつもの調子で顧客に謝っている。

タイマーが一分減る。

あかりは卵焼きを一口で食べた。

その日の昼休みで、最初の一口だけは、誰の声にも邪魔されなかった。