午前二時の子守歌

午前二時、失踪した歌い手の新曲がラジオへ割り込んだ。

深夜番組の紺屋遥斗は、予定表にない再生ランプを見た。イントロは古いベビーモニターの砂嵐。遠くで小さな寝息がし、やがて星河ネネの柔らかな声が重なる。

「眠っていて」

ネネは一年前、人気絶頂で消えた。部屋からは衣装も機材もなくなり、所属先は誘拐の可能性まで匂わせた。ファンは毎晩、彼女の帰還を願う投稿を続けた。遥斗も番組で特集を組み、目撃情報を募った。実は二人は学生時代からの友人で、失踪直前、ネネから「もう見つけないで」と頼まれていた。それでも彼は、助けを求める遠回しな言葉だと思い込んだ。

「眠っていて」

Aメロには、湯を沸かす音、哺乳瓶を振る音、窓を閉める音がリズムとして並ぶ。ネネが隠していた子供の存在を、遥斗だけは知っていた。事務所は未婚の母では売れないと言い、出産後も子供と別居させて歌わせた。彼女が消えた夜、遥斗は相談を受けながら、世間へ説明すべきだと説得してしまった。

サビで、全国の受信機から一斉に通知音が鳴る。ネネの公式アカウント、ファンクラブ、過去動画が削除されていく。遥斗は慌てて停止ボタンを押すが、放送は衛星経由で固定されている。

歌の後ろから、幼い声がした。

「おかあさん、もう歌わなくていいよ」

ネネは死んでも、囚われてもいない。どこかで子供と暮らしながら、今夜、自分の芸名だけを消そうとしている。曲に入った生活音は居場所の手掛かりではなく、彼女がようやく手に入れた平凡な毎日の証明だった。

最後の一音は、子供部屋の灯りを消すスイッチ音だった。

画面に、放送後自動消去の文字が出る。遥斗は録音を保存できた。それでも保存キーを押さず、再生履歴ごと閉じた。

暗くなったスタジオで、ネネの声が三度目に囁く。

「眠っていて」

子供へ向けた子守歌だけではない。歌い手・星河ネネを目覚めさせようとするファンも、友人も、過去も、今夜はその名を静かに眠らせてほしいという別れだった。