四十二ミリの余白
鳥飼景の評価面談は、図面一枚につき何分かかったかという話から始まった。
設計事務所へ入って一年。景の作図枚数は部署平均より少なく、主任は〈生産性に課題〉へ丸を付けている。
「今日の集合住宅も、後輩なら午前中で終わった。君はまだ修正していたね」
景はA3の平面図を広げた。車椅子対応住戸の玄関。回転に必要な円が、壁の中へわずかに食い込んでいる。
「仕上げ材の厚みが、標準部品に入っていませんでした」
下地だけなら基準を満たす。だがタイルと接着層を足すと、実際の有効幅は四十二ミリ足りない。完成後に気づけば、壁を壊して直すしかない。景は不足した円を青鉛筆で静かに二度囲んだ。玄関の先には、入居者が毎日通る廊下がある。図面上では指一本ほどの不足でも、車椅子の前輪が壁に当たれば、その人には毎日の四十二ミリになる。景は図面へ車椅子の軌跡を重ね、扉を開けた状態でも回れる位置まで壁を移した。
部品を登録したのは後輩だった。主任が名前を確認しようとすると、景は首を振った。
「登録手順に、仕上げ後の寸法確認がありません。誰が作っても起きます」
景は図面を直しただけでなく、標準部品へ仕上げ厚を入力し、配置すると自動で警告が出るようにしていた。後輩には、速く描くより一度だけ実寸を測るよう伝えた。今日の作業が遅れた代わりに、次から同じ確認は数秒で済む。景は修正前後の作業時間も記録し、十棟で使えば、最初の遅れより大きく確認時間を減らせることを示した。
主任は感心した顔を見せたが、提示したのは営業設計への昇格コースだった。顧客前で提案し、受注額で評価される道だ。
「設計だけにこだわると、役職は上がりにくいよ」
景は評価表の希望欄を空白のまま返さなかった。〈技術専門職〉と書き、資格取得支援と標準図面管理を次期業務に加える。
「役職より、図面の中で暮らす人に近い仕事を選びます」
四十二ミリ広げた玄関図を添付し、専門職コースの申請書を提出した。