四本目の冬タイヤ
深町玖郎が父のガレージへ車を入れると、弘毅は後部座席の毛布を一度だけ見た。離婚届を出して三日、玖郎はネットカフェと車を行き来している。父には話していない。
「ジャッキ、そこ」
「分かってる」
「前に逆へ回した」
「高校のときだろ」
冬タイヤへの交換は、毎年父が一人でやっていた。今年だけ「腰が痛い」と短いメッセージが来た。疎遠になってから、助けを求められたのは初めてだった。
一輪目。ナットが固い。玖郎がレンチに体重をかけると、弘毅が足で押さえた。
「結婚式のとき、あの人はやめとけって言ったよな」
「言った」
「今、言いたいだろ。だから言ったって」
「締める順番、対角だ」
二輪目。弘毅は外したナットを磁石皿へ並べた。玖郎は苛立って一個落とし、床を転がる音だけが長く響いた。
「何か言えよ」
「言って戻るなら言う」
「戻らない」
「ならタイヤを替えろ」
三輪目で雨が降り始めた。弘毅は無言でガレージのシャッターを下ろし、ストーブを点けた。玖郎の濡れた袖を見て、作業着を一枚投げる。父の匂いがしたので着たくなかったが、寒さに負けた。
四輪目。トルクレンチが規定値で乾いた音を立てる。弘毅は一本ずつ確認し、玖郎は空気圧を揃えた。二人で車を下ろすと、車高がわずかに上がった。
「夏タイヤ、積む」
「置いてく。部屋ないし」
「盗まれても知らんぞ」
「捨てていい」
「ゴムは捨てるのも金がかかる」
弘毅はタイヤを洗い、袋に入れ、壁のラックへ上げた。古い札を剥がし、新しい養生テープを貼る。太い油性ペンで車種と位置を書き、その下に小さく「春まで」と記した。
玖郎が車へ戻ると、後部座席の毛布が消えていた。代わりに助手席へ、ガレージのリモコンが置かれている。
「毛布は」
「洗う。油臭い」
「今夜、使うんだけど」
「家の洗濯機は乾燥まで二時間だ」
弘毅はもうシャッターの内側へ戻っていた。リモコンだけが、玖郎の手の中でまだ温かかった。