図書館の窓辺、パン半分

 比良坂絹乃は、休日に本を読むときにも目標を立てていた。

 午前中に百頁、昼食後にもう百頁。読了した冊数を記録し、月末に表へまとめる。好きで始めた読書なのに、最近は積み上がる数字の方が本の内容より気になっていた。

 雨の日曜、絹乃は市立図書館へ行った。

 いつもの閲覧机ではなく、窓辺の一人掛け椅子を選ぶ。借りたのは、知らない町の小さな菓子店を訪ね歩く随筆だった。

 読み始めて三十分、窓へ雨粒が斜めに流れた。

 本の中では、作者が焼きたての胡桃パンを食べている。絹乃は頁をめくる手を止め、館内のカフェへ下りた。

 売店には胡桃パンが一つだけ残っていた。

 温めてもらい、紙袋と紅茶を持って図書館の中庭へ出る。屋根のある回廊には、雨の匂いと濡れた土の匂いが満ちていた。

 パンを割ると、胡桃がごろりと現れ、白い湯気が上がった。

 半分を食べ、残りはあとでと思って袋へ戻す。すぐ本へ戻るつもりだったが、雨樋から落ちる水を見ているうちに、何頁まで読んだかどうでもよくなった。

 椅子へ戻り、同じ段落を三回読んだ。

 一度目は文字を追い、二度目は菓子店の窓を思い浮かべ、三度目には作者がそこで何も買わずに帰った理由が少し分かった気がした。

 読書は先へ進むことだけではない。留まった頁の中で、見えなかったものを待つ時間でもある。

 閉館の放送が流れたとき、絹乃はまだ一冊の半分しか読んでいなかった。

 以前なら焦っただろう。今日は栞を挟み、続きは借りて帰ることにした。

 貸出カウンターで本を受け取ると、司書が『続きはゆっくりどうぞ』と言った。決まり文句かもしれない。それでも絹乃は、頁にも自分にも言われた気がした。

 玄関で傘を開く前、紙袋に残した胡桃パンを思い出した。

 少し冷えていたが、噛むと胡桃の香ばしさがまだしっかり残っている。半分の本と半分のパンを持って帰るのも悪くない。

 帰宅後、手帳の読書記録欄へ冊数を書かなかった。

 代わりに〈雨。窓辺。胡桃パンを半分残した〉と記した。

 部屋には濡れた傘と紅茶の香りがあり、借りた本の栞から、図書館の静かな午後がまだ少し覗いていた。