塩辛はじゃがいもの上
友人から借りたカメラを、僕は落とした。
本体は動いたが、レンズの縁に傷がついた。修理代を調べると、今月の給料では足りない。黙って返しても気づかれる。正直に言えば、来月の旅行に持っていけなくなると責められる。どちらにしても関係は悪くなる気がして、三日間、返信をしていなかった。友人からは『週末に受け取りに行く』とだけ来ている。残り時間が短くなるほど、僕は傷の写真さえ送れなくなった。
知らない居酒屋へ逃げ込むように入ると、革のベストを着た常連が一人いた。無口らしく、店主が「初めてのお客さん」と告げても、グラスの水滴を指で拭っただけだった。
僕はじゃが塩辛を頼んだ。蒸したじゃがいもを割ると、白い湯気が立ち上がる。溶けたバターの甘い匂いに、塩辛の海の匂いが強く重なった。熱い芋へ冷たい塩辛をのせると、端から少しずつ温まり、色が艶っぽく変わった。
箸で別々に食べようとしたら、店主が笑わずに言った。
「上にのせたほうが、うちはうまい」
言われた通り一緒に口へ入れる。芋のほくほくした甘さと、塩辛の尖った塩気がぶつかり、どちらも少しずつ弱まった。単体なら強すぎる味が、同じ口の中では収まる。
カウンターの常連が、僕の鞄から覗いたカメラケースを見た。何も聞かず、自分のスマートフォンを取り出す。画面にはひびが一本走っていた。男はそれを指でなぞり、ポケットへ戻した。傷を自慢するでも、隠すでもなかった。
僕は友人へのメッセージを開いた。『落としてレンズに傷をつけた。明日、現物を持って謝る。修理代は分割でも全部払う』と打った。続けて、落とす前に撮った写真のデータは今夜送ると書いた。怒られるだろう。旅行にも間に合わないかもしれない。その先は、まだ考えられなかった。
送信すると、すぐに既読がついた。返事は来なかった。
じゃがいもの最後の一片には、溶けきらないバターと塩辛が少しずつ残っていた。熱さと冷たさの境目はもう分からず、強い塩気だけが、舌の奥でゆっくり甘みに変わった。