天井からの足音

管理会社へ入って一か月、御子柴円が受けた初めてのクレームは、「上の家族を今すぐ追い出してほしい」というものだった。

「毎晩二時十三分、子どもが廊下を走る。昨日は二時四十六分にも。眠れないんです」

電話口の男性は時刻を一分単位で記録していた。円は上階の入居者情報を開く。共働きの夫婦と五歳の子ども。過去の苦情欄は空白だったが、先輩は苦情文のひな型を出し、「まず警告。これで静かになることが多い」と言った。文面には〈改善がなければ契約上の措置〉とあり、受け取った家族が何を疑われたかは明確だった。

送信ボタンに指を置き、円は記録の時刻を見直した。二時十三分、二時四十六分、三時十九分。三十三分間隔だった。

子どもの足音が、毎晩きっちり同じ間隔で続くだろうか。

円は設備台帳を開いた。屋上給水ポンプが三十三分ごとに作動している。しかも苦情の部屋は最上階で、上に住戸はない。電話で「上の家族」と聞いたとき、階数を確かめず、円も先輩も思い込んでいたのだ。

その夜、円は保守担当と現地へ向かった。二時十三分、天井から、どどど、と小さなものが走るような振動がした。配管を固定する防振材が劣化し、廊下の梁へ音を伝えていた。

翌朝、男性へ原因と修理予定を伝えると、沈黙の後に「上の人へ、もう文句を言ってしまった」と返ってきた。上階の夫婦も、子どもを夜に歩かせないよう廊下へ布団を敷き、三日間ほとんど眠れていなかったという。

円は警告文を削除した。代わりに、管理会社から上階の住戸へ、設備音の誤認を招いたことへの説明文を送る。男性にも、直接謝罪する際の立ち会いを申し出た。修理までの二晩はポンプの作動間隔を調整し、耳栓ではなく別室の一時利用を提案した。

先輩は苦笑した。「設備まで見ていたら、一件に時間をかけすぎるよ」

円は苦情記録の最初に、「上下左右の実在確認」と「周期性」の欄を作った。

新しいメールが届く。別の物件から、夕方だけ壁が鳴るという相談だった。

円は自動返信に回さず、保守担当の予定表を開いた。

「この件も、音の時刻から聞かせてください」