夫婦別寝裁判
【祝迫家・臨時夫婦法廷 午後十時開廷】
原告である夫が、寝室の入口で宣言した。
「今夜から、別々に寝たい」
被告である妻は、歯ブラシを落とした。
「理由を聞かせて」
「毎晩、君に奪われるからだ」
「何を?」
「最初は少しだけなんだ。気づくと境界を越え、朝には全部そっちへ行っている」
「私、そんなにあなたの心を独占してた?」
「心じゃない。もっと厚くて重いものだ」
「愛情?」
「愛情に洗濯表示はついていない」
妻は腕を組んだ。
「ところで裁判官は誰?」
「私だ」
「公平性を理由に却下します」
「では協議に戻ろう」
「私と同じ場所にいるのが嫌なの」
「部屋は同じでいい」
「ベッドは?」
「同じでいい」
「じゃあ何を別にするの」
「それを今から説明する」
夫は証拠品第一号として、寝室の写真を提出した。妻は巨大な布の塊にくるまり、夫はベッドの端で膝を抱えている。
「撮ったの?」
「午前四時十二分。室温八度。原告の体感温度は南極だった」
「偶然よ」
「証拠品第二号」
別の写真では、夫の顔に細い縞模様が刻まれていた。
「君が巻き取った結果、掛け布団の端が私の顔へ食い込んだ」
「寝ている私は無罪」
「寝相による占領にも責任はある」
「あなたが端へ寄りすぎなのよ」
「追いやられた結果だ」
「異議あり。寝返りの自由を侵害してる」
「自由には他人の布団を奪わない義務が伴う」
「でも、別々に寝るなんて子どもに何て説明するの」
「うちに子どもはいない」
「将来の子どもによ」
「まだ存在しない証人を呼ばないでくれ」
妻は少し声を落とした。
「最近、会話が減ったから、私に飽きたのかと思った」
「会話が減ったのは寝不足だからだ。毎朝、君に『寒かった』と言おうとして、あくびで終わる」
「それで、離婚とか」
「しない。寝室もベッドも共有する。夫婦関係も続ける」
「では原告の要求は」
「掛け布団を二枚にすること」
法廷は三秒、沈黙した。
「最初にそう言って」
「『別々の布団で』まで言う前に、君が歯ブラシを落としたんだ」
判決。被告は新しい掛け布団一枚を購入し、原告の布団へ越境しないこと。
翌朝、妻は新しい布団ごと夫の側へ転がってきた。
控訴審が決まった。