宝石の靴より柔らかな

フローラは舞踏靴を履くと、足首の古傷が疼く。

騎士団の戦勝舞踏会で、侍女が宝石の靴を持ってきたときも、断れずに手を伸ばしかけた。

騎士団長シグルドが箱を閉じる。

「違う」

彼は従者へ目をやった。代わりに用意されたのは、踵の低い柔らかな革靴だった。内側には薄い綿が入り、紐も締めつけない。

「以前、市場で見ていた」

フローラが欲しいものほど遠慮して眺める癖を、彼だけが知っていた。

「でも、正式な夜会では失礼です」

「痛いほうが失礼だ」

シグルドは普段、部下の疲労を理由に訓練を短くしない。舞踏会でも挨拶を求める貴族を一言で退けている。それでも彼女の靴紐は、きつくないか目で確かめた。

音楽が始まり、司会者が二人の名を呼ぶ。

「最初の舞は、騎士団長と未来の婚約者フローラ嬢です!」

フローラは固まった。

「踊れません」

司会者は小声で急かす。

「一曲だけです。団長の面目をお考えください」

「足が痛むんです。それに、婚約者とも決めていません」

周囲の視線が刺さる。シグルドは手を差し出さなかった。

「座るか」

「はい。音楽は聴きたいです」

彼は舞踏床の中央へ二脚の椅子を運ばせた。騎士たちも貴族も、何が始まるのかと息を呑む。

「団長閣下、中央は踊る場所です」と司会者が抗議する。

「今は座る場所だ」

二人は並んで腰掛けた。フローラは柔らかな靴のつま先で拍子を取る。

公爵が苦笑する。

「一人の娘の都合で伝統を変えるのか」

シグルドは短く答えた。

「彼女の足だ」

二曲目を待つ人々の前で、シグルドはフローラの足元へ視線を落とした。痛みが増していないと確認すると、冷たい水まで運ばせる。彼女にだけ向けられる細かな気遣いを、誰も見間違えようがなかった。

曲が終わると、司会者は婚約発表へ進もうとした。だが団長が手を上げる。

「中止」

そして全員の前で、フローラの椅子をそのまま残した。

「踊るか、名を変えるか、決めるのは彼女だ。今夜は座る。それ以上を求めるな」